震災日録 8月26日

聞いた話。「墓地の墓石がひっくり返り、どこが自分のうちかわからない。このあたりかなあ、と花を供えたら、隣りの人はじゃあ、うちはこの辺かな、と。最初間違うとみんな間違うねと笑った」「合同慰霊祭にも香典は出したし。みんな大変だからとお葬式はお香典をなしにすることに申し合わせをした」「釣はあきらめた。行方不明のひとが漂っている海だし」「ラブホは家族づれで満員。避難所はお酒禁止で9時消灯。子どもに思い切りテレビマンガを見せてやり、おとなは飲みながらカラオケするのが家族団らん」

丸森のIターン組は出て行ったとも聞いたが、筆甫の味噌づくりの太田さん夫妻は残って、地区の除染の先頭に立っているらしい。原発を勉強する学習会なども始めていると言う。「ああいう人たちが丸森に来てくれてほんとうによかったわ」と菊地しのぶさんはいっていた。ヒッポ味噌はおいしいです。1年もの2年ものありますので食べたい方はドウゾ。

http://www.a-will.jp/will/backnumber07/b_070214.html

菅総理が退陣なので上野駅で共同通信のインタビューを受ける。いろいろ話したが原稿にはほとんど活かされなかった。以下のようなこと。

*ぶるぶるふるえる豆腐のような日本列島にゲンパツは無理。

*チェルノブイリの時の決死隊のような命令で危険地域にいく軍隊のない国に原発は無理。

*私は1970年以前の生活水準に戻ってけっこう。

*家庭はいいが製造業に電気が使えないと日本は三等国になる、といわれたら、すでに三等国だと答えよう。太平洋にこんなに核物質を垂れ流して何が一等国なものか。

*エネルギーのない国で自国消費はいいとして、国外消費のための製造業をするのは無理。産業構造を徹底的に変える。

*農林水産業はふえてもいい。職人など手仕事をふやす。水ビジネスなどボトルに詰めるだけで電気を食わない工業はまだしも。納得して体を動かし、つましく暮らし、友だちと遊び、自由時間に好きなことをする。まさに竹富はそんな島だった。できるよ!