震災日録 8月25日 仙台市荒巻配水所

熊谷さんの車で、尾の崎の坂本健さん清子さんを訪ねる。

「2人なくなった、3人流された、くらいでは『ああ、そう』というくらい私たち慣れてしまったのがおそろしい。一家で7人とかもっとなくなった家があるんだもの。合同慰霊祭のあとも各家でご葬儀をするのでお葬式ばかり。ここの集落はすぐ裏のお寺に逃げてほとんど助かった。助からなかったのが大川小学校へ通っていたこどもたちだから本当につらいの」

清子さんたちはインドのポンディシェリで漁師の妻たちがつくった「ツナミカ」を造りはじめていた。坂下家は瓦礫を掃除して昼間は使いはじめ、ピースボートのボランティアたちの休憩場所になっている。

しかしよく気のつく清子さんはちょっと疲れている感じ。健さんはことしも牡蛎を育てる、11月には東京で販売できないかな、と前向きだ。「ここは長面浦に面して360度、山が見える。森の養分が流れ込んで他で3年かかる牡蠣が1年で育つし、全国一おいしい牡蠣だと信じている」

しかし陥没してしまった尾の崎地区に戻るという住民は少ない。スレート瓦の町並みは国の伝建になってもよさそうなのに。

北上から石巻の斎藤氏庭園を見る。山形の本間家とならぶ大地主。ここも国の名勝だが土蔵の壁の崩れがひどい、管理人さんは「この前きた人は直すのに10億かかるって」と当惑気味。石巻のロシア正教のたてものは無事、山下りんのイコンは別の場所に保管されていた。蔵王町の我妻家も白壁が落ちている。

仙台市役所の持つ荒巻配水所も国の登録文化財だが、移築途中で被災し、倒壊する危険があるとして7月11日、解体が決まった。町遺産ネット仙台を中心にどうにか保存できないかと言う署名や保存の提案があったが、市は枕木の下に入って作業する安全性が確保できない、として解体を決めたもの。しかしそれこそ「日本の科学技術を持ってすれば」保全する道もあったのではないか。「あっさり壊さないで」と文化庁もいっているのに。最後の悪あがきで仙台市長奥村恵美子さんに私信を送った。夜はなつかしい丸森の友人菊地さん宅で泊。