震災日録 8月24日 有壁宿本陣

北上川河口で茅葺きを業とする熊谷産業は社屋も自宅も流され、遡ったところにプレハブ小屋をたて再起した。その広い土地には河口を見はらす露天風呂を作り、小屋のあいだにはよしずがけの野外食堂、そしてモンゴル人の助っ人用のゲルが数棟、そこに私の紹介した寄田君が馬を連れてきたのでちょっとしたテーマパークになっている。この前は白洲正子邸の造園をした人が来ていたが、今回は黒沢さんという建築家が着ていた。キャップのうえにパナマ帽をかぶり、極彩色のスポーツウェアを着てもうすごいお洒落。80すぎで、私は乞食と名乗るその人は「人間生まれた時はハダカ。死ぬ時もあの世へは金も物も持っていけん。何あくせく働くのか」と一言。「本来無一物」である。それで被災地へ来ているらしい。

「国産木材・在来工法・地元の工務店にお金が落ちる仮設でない復興住宅」という熊谷さんの夢は着々と進行中。一関市近くの有壁宿本陣を観に行く。当主夫人「史跡なので一億かかるという修復費のうち、七割が国、あとの三割を県と市と私どもで負担すると言うので。もう歳を取っていますので息子が今回は出すと。主人は古いものに囲まれて本を読むのが一番の楽しみなのですが。余震のたびにざざーっと土壁が落ちる音が聞こえて身がすくみます。扉も歪んだのか開かなくて。旧家には嫁ぐまいと思ったのですがこうして来てしまって」とのこと。たしかに土蔵の壁ががたんと落ちている。

今日は追分温泉泊。ご主人、寄田君と若い女性たちといろいろ話す。人気温泉宿を避難所に変えてがんばっている穏やかな宗さんが「日本人はおとなしいですねえ。包丁にぎって東電にいきたくなりますねえ」「お、サンマをさばいた刃でお前たちもさばいてやる!ってか」、いやいやうかつな冗談は言えません。しかしいろんな人に会えば会うほど怒りが蓄積しているのを感じる。