今日は日帰りで小諸に藤村記念文学賞授賞式へ。満州引き上げの冬、学生時代の北海道の牧場のアルバイト、牛の労働からトラクターへと変わった農村、おじいちゃんと食べた自動販売機のうどんの思い出。懐かしいというより、いままさに3・11以降、このような暮らしにシフトするべきだ、と思った。まさに「懐かしい未来」。
きのうの吉川さんの質問、もうひとつ。
「地震から3週間。避難所に避難者以外の地域で働く人や学生がきました。彼らにも炊き出しの配食をしますか」
*震災当日だったら出すが、3週間もたっているなら別の方法があるのでは。
*震災当日なら見学客も来るはず。町にお金を落としてくれるひとを無碍に断るいわれはない。
*町会に入っている人は少数派、なのに行政はいうことを聞く町会だけを住民の正式な代表を認め、避難所を町会単位ですすめようとしている。地域には勤労者や通学者もいる。避難所のトップは町会長でなく学校長だということをはっきりしないと混乱する。
*おなかがすいた人に食事を出すのは当たり前。
*そうすると数が足りなくなる。
*じゃあカレーや煮物など、数を融通できるものにすれば?
正解を見つけるのではなく、こうしたディスカッションを引き出すための質問らしい。