震災日録 8月14日 同世代の苦労

お盆の最終日。狩俣恵一さんは沖縄大学教授で、『芸能や神事から島の未来を考える』ことをライフワークとしている。私より3つ年上だが、島から大学までいくのは並大抵ではなかった。

「30までに目鼻がつけばいい、くらいでまず東京に出て二年、新聞配達などで働き、お金を貯めて国学院大学に行きました。生活費どころか、授業料も自分で払った。だからバイトするより勉強して授業料免除にした方が得だという結論になった。卒業してからも一年バイトして大学院に進みました」。親に授業料を払ってもらって。

自宅から通った私は少し恥ずかしい。奥さんの志穂さんも竹富育ち、両親とも先生で「そんなうちからお嫁をもらうのは恐れ多い」とお母さんのハツさんは不安があったが、今みていると人もうらやむ嫁姑だ。狩俣さんは那覇からかよって竹富島のいろいろな問題に社会学の家中先生とともにアドバイスしている。今日、まずは竹富島入門編。歴史、歌謡、芸能、神事、工芸、衣食住、ことばその他、何でも聞いてみた。

お昼ご飯は冬瓜と豚の汁においしいご飯、チャンプルー。

午後は長堂さんの母堂のところへ行く。神奈川の海老名から娘さんがお盆で帰り、天ぷらをたくさんあげながらおばあの話を聞いて笑いをこらえている。本島の糸満育ちのおばあは戦前に台湾で竹富島の人と知り合った。ウミンチュなので言葉がはっきりしている。「あんたみたい若い人にいってもわからんだろな」と言う。

そのあと町並み調整委員会委員長の大山さん宅により、この頃起こっている島の問題について話を聞いた。国の重要伝統的建造物群保存地区になってから「売らない、貸さない、けがさない、そして活かす」というすばらしい竹富憲章を作ったのに。この国は自由主義経済の国で知らない間に売買され、そこで観光目的の商売をする人が後を絶たない。島の文化、風習、ユンタク(おしゃべり)、ユイマール(協力共生)などに理解がない住民が増えつつあるという。

お盆の最後の日、公民館館長を務め、前からよく町並み保存ゼミなどでお目にかかる上勢戸芳徳さんの赤瓦の家でまたすばらしいアンガマーをみた。東集落が着物もそれぞれで本土の盆踊りなどを取り入れて気楽で楽しい感じなのに対し、西は芳徳夫人、同子さんが踊りの師匠として若い子に教えているので、衣装も伝統的な紺地の着物、たもとはあついので筒袖、お端折もなくつっ丈で短く着る。帯は幅が狭く前で結ぶ。アンガマー最高潮で雲の上に明るい月が出た。なくなった父のことを思う。東京でお盆に迎え火をたかなくなったのはいつからだろうか。