震災日録 8月13日 アンガマーに月がかかる

お盆の二日目。あちこち話を聞いたり、前から知っている家に『御霊前』と書いた袋のなにがしかのお金を包んで、お参りして歩く。うずたかく積まれているが、おたがいやったりとったりだ。石垣や那覇の親戚も帰ってきたり、お参りに来たり。面白いのはここの人はもちろん、私たちのことを本土の人、ヤマトンチュ、というが、『沖縄の人』という表現も使う。那覇は沖縄で、沖縄県のうちではあるが竹富は八重山人なのである。今日は松竹荘の松竹昇助さんに話を聞く。アダン、月桃、クバ、芭蕉などを使って蓑笠、枕、バッグ、うちわなどの手工芸品を作る名手。昭和4年生まれで戦争中は護郷隊にいた。面白かったのはヤブ医者の話で、というか奥さんの実家が近代西洋医学を学んだわけではない医者の家系で、漢方の知識を多く持っていて見立ては確実、よく直ったのだそうだ。そのあと来た本当の医者もその人によく聞いたそうで、ヤブといいながらも昇助さんの語りには愛情がこもっていた。

午後は島仲家へ。はじめて船主となった家、当主ヨシノブさんは藍染めを仕事とし、カマンガーをつとめる。妻由美子さんは島の織物を担う人だが、何年か前、空白だった中筋の神司になった。神司は島の神事を司り、各集落の御嶽(うたき、オン)の神様に氏子の健康や幸せを祈る。「大変な仕事ですが、神様からの知らせがあって、引き受けないわけにはいかないのです。私は元々西集落(いんのた)の生まれで筋ではないんですけど」。先輩司たちに支えてもらいながらつとめているということだ。

この日、東(アイノタ)集落のアンガマーは高那旅館、イナシャという家。家にはそれぞれ屋号がついており、イナシャはすばらしい赤瓦の家で、それを開け放つとイヌマキの柱が鈍く銀色に光り、まるで能舞台のように見えた。