震災日録 8月10日 24年前の竹富

沖縄へ。竹富島のおじい、おばあの話を聞くのを手伝ってくれないかと家中、狩俣両先生から依頼あり、島の若者や後継者が聞き書きする態勢をつくるためにとりあえずいくことに。この島には24年前、町並みが国の伝統建造物保存地区になったときに町並み保存ゼミが開かれて、そのとき一歳の次男を預けていった。それは初めての沖縄だった。珊瑚礁の石垣の続く、砂の道を歩いて日夜、おたがいの民宿を訪ね合い、ヨッピて語り合った思い出がある。泊めてもらった沖縄そばの竹の子は代が替わって大変な人気店になっていた。あのときはカウンター3、4席のうすぐらい店だったが、ピーヤシー(島こしょう)を振りかけたそばは台湾そばのようでもあり大変おいしかった。かべにはおじいが叙勲されて皇居まで出向いたときの和服盛装の写真がかかっており、こんなに遠いのにあれだけ日本国にひどい目にあったのに天皇制が人々の心に根を張っていることに驚いた。竹富を土地の言葉でテードゥンと呼ぶ。今回は中辻部落のヴィラ竹富にとめてもらう。若い頃は相部屋の民宿も楽しいものだが、この年になるとバストイレ付き、クーラーの効いた部屋に一人でいるのは快適。夜は呼んでくださった狩俣先生の実家、前にお世話になった民宿内盛荘のスミさんなどに挨拶。スミさんは踊りや歌の名手であり、伝統的な織物の名手でもある人だが、85歳のいまも気分は18歳で、民宿のヘルパーの女の子にもスミちゃんと呼ばれている。夜、お盆の芸能の練習をみてからたるりやで家中先生、泉屋の上勢頭篤さんたちと飲む。