震災日録 7月22日 防災の専門家

北里病院へ行って、谷井さんと広尾で話をして、よる、久しぶりに会った友人の防災技術者と話す。

「ブログを見て森さん、よくやっているなとは思ったけど、海の近くに住むのはやめるという意見には反対。行政がどこに住むかを決めることはない。高台だって海が見えるほうがいい。危ないからやめろというのでは谷中や根津に住むなというのと同じ」

「そうね。ただ20メートルの防波堤を作って海際に住めというのには反対。たしかに直後は漁師さんたちも今回だけは駄目だ、と海を怖がっていた。でも復興会議がだしたタイプ別町のプランなんかはよくないとおもう。時とともに被災者の考えも変わるしね。根津辺りのおじいさんは百年に一回あるかどうかの地震のために鉄筋にする、暮らしを変える気はない。いざとなれば焼け死ぬからいいって言ってる」

「でもそういう人でもしっかり逃げるよ。今回だって津波の浸水地域の死亡率はせいぜい3~5%、一番多い陸前高田で十数%、つまりあとの人はじょうずに逃げたということだ」

「なんだかちっとも再建計画がすすんでいないみたいね」

「阪神淡路のときは関西の連中はどんどん勝手にやりはじめた。個人には出ないけど、共同でやれば金はついてくる。東北の人はおとなしいというか、自発的な活動が足りない気がするな。そうすると計画は上からふってくる。それに阪神のときは後藤田と下河辺がいてスピード感もあったし官僚の使い方も心得ていた。いまは政治主導と言って官僚に何もやらせないのに、自分たちにはアイディアも胆力もない」

「復興を手伝わないの」

「行ってみたけど人がいない。それじゃ復興はできない。みんな行政がしてくれるのを待ってる。政府は補償するだけ、金の問題になってる。いっぽう一都市あたり調査に5000万、計画に5000万といった馬鹿げた金をコンサルなんかにばらまいている。土地の人が自分でやる気を出さなきゃどうしようもないぜ」

「谷中でもコミュニティを防災センターに建て替える計画があって」

「本気でやれば備蓄でも貯水槽でも自家発電でも物すごいお金がかかる。でもいざ災害の時にどれだけ有効かは分からない。それより森さんたちのやってきた井戸の水質調査とか、関東大震災の聞き書きとか、食べられる植物の調査とか、日常の研究とそれを通じたネットワークの方が効くんじゃないかな」

みすずの守田さんも来てくれたので3時まで飲んでしまった。