震災日録 7月21日 原発近くの声

ようやく「映像谷根千」に3本アップした。3月27日の反原発デモは全体を荒川俊児さんが撮り、私はデモの中に入って後ろ向きに歩きながらインタビュー、警官に危ないですからやめて下さい、と言われたが、中に入らなければ撮れないことも多かった。

その後、ゲンパツのある近くに行って住民の声を取ってこい、との映像ドキュメント桜井均隊長の指令により、まず被災地に絵本とマンガを持って行った際、女川町のアリーナに同行者早川真理さんの友人を訪ねると、そのお父様が女川町議会でたった一人(いまは二人)40年間原発に反対しておられる高野博さんだと聞いた。高野町議も家を流され、避難所に生活しながら石巻の共産党仮事務所で精力的に活動されている。それゆけ、とその足で訪ね、追分温泉には7時に行かないと夕食がなくなるので、ぎりぎり40分話を聞いた。

5月には七尾のでかやまのお祭りをみにいったので、能登の志賀原発に反対するお二人、友禅作家の志田弘子さん、町議の堂下茂健一さんのお話を聞いた。といっても事前に志賀原発について調べていったわけでもないので、初対面だしとんちんかんな質問ばかりしてしまった。補償が出るのは漁業者だけで、原発ができたって、それ以外の住民には何も出るわけではない。それでも温泉旅行などアメがくばられ、反対すると村八分と言うムチが来る。「絶対安全だって国も大学の先生も言ってる」「原発がくれば雇用がうまれる」「地元自治体には電源立地の交付金が入る」などで、みんなのこころの外濠うめられ内濠うめられ。そのときから反対して来た方たちは強い!

ほかにも4月末には浜岡原発を、6月末には上関原発計画に反対する方たちの声をとって来た。私は眼の病後なので自分では編集できず、若い木崎さんの力を借りているが、ゆっくりアップしていきます。いままで作ったものは映像谷根千でご覧ください。

じっくり集中すれば、どの方もすごいこと言ってます。http://yanesen.eizoudocument.com/

まず電源立地三法をなくすこと。安全だと一回でもいった学者は学者の名前に値しないから大学を去ること。広瀬隆さんたちが、東電会長や原子力保安院の班目委員長らを刑事告発しはじめた。広瀬さんの『あおる』語調は好きになれないが、誰かがこれをしなければならないから見守りたい。