震災日録 7月19日 ロゴスなき国 

北上町に五感を研ぎ澄まし、自分で身を守れる子どもを育てる学校をつくりたい、といったらH先生は即座に「無理ですね」と言う。教えられる先生なんていまの日本にいませんよ。なんせキッシンジャーに日本人に論理は分からない、と言われたくらいですから。大学でわたしが論理の話をしていたら、女性の教授が「論理以上に大切なものもある」なんて言いだしてね。あなた、学問はロゴスでしょう、ソシオロジーとかバイオロジーとか、いったい何教えているのと言いたくなりました。

西洋にしてもキリスト教を布教する時にはロジックがいる。それで研ぎすまされて来たんです。イスラムもしかり、中国だって中原を制するにはそれなりのロジックがいりますよ。だから開国したって、こんなロゴスの通じない国と外交が通商だと向うは相当苦労したでしょうよ。オバマだって旧約聖書に誓った。日本は共通の規範がないからみんな違う基準で原発でも生命倫理でも討論して、結局どこまで行っても結論は出ません。

問答無用、以心伝心、切り捨てごめんなんてなにも論理ないじゃないですか。武士道とは死ぬ事と見つけたり、わかったようなわかんないような。でもすくなくともサムライまでは責任をとって腹かっさばいたじゃないですか。いまはそれすらしないでしょう。太平洋戦争でも東京裁判ではさばかれましたが、自分たちで自分たちの責任を追及しなかった。あれは勝者による裁判だなんて文句言いますが、なら敗者は敗者でちゃんと責任を追及すべきだった。いまは責任を追及している場合じゃない、なんていつもごまかす。住専だって年金だって、そうやってうやむやになりました。みてて御覧なさい、いまは戦犯探しはやめようなんて言ってるうちに原発だって誰も責任取らないから。