震災日録 7月8日 日本は旧ソ連以下

信頼するH先生と話す。福島の子どもたちを集団疎開させないといけない。しかし行政もなにもしない。日教組も昔は「教え子をふたたび戦場に送るな」と言ったりしたのに今回存在感なし。帝国憲法化の戦時日本だって、次代を担う子どもは集団疎開させたのに。旧ソ連だって何千台もバスを仕立ててこどもたちを避難させたのに。いまの日本政府は旧ソ連以下、旧大日本帝国以下、いくらだって予算を使うべきなのは、子どもたちの疎開ではなかろうか、と先生は言う。育児手当をつけたって、これから子どもを生む人は少なくなるだろう。

丸森の友人にようやく電話。「人によって温度差がある。気にしない人は気にしない。子連れでも出たいけど遠くに親戚もないし、長逗留できるほどの友人もいないし、第一お金もないし、ここで我慢するしかないということになるのよ。牧場では草の放射線値が高いから牧草をほかから買っている。そのお金はいつかは補償されるのかも知れないけど、いますぐ金がいるんだ、とおこってる。うちは福島方面からお客さまが増えた。丸森の方がずっと福島や梁川より値が低いから。福島の果物はおいしいんだけどねえ。いまはちょっとねえ」

夜、谷中コミュニティで3・11を踏まえて建て替えを考える会。住民60人以上集まる。台東区から課長3人、係長ひとり、聞きにきてくれる。文京区では考えられないこと。住民も拍手で迎えた。何かが変わる兆し。南三陸町でユニセフスタッフとしてながく避難所の仕事をなさった建築家松下朋子さんの話。阪神淡路のときの看護師橋詰まり子さんの話。お寺には井戸もあるし、広い本堂もあるし、境内も広いし、そのネットワークを災害時使えないかという話。たしかに関東大震災時には向ヶ丘光源寺にも何百人も2か月避難生活をしていたと住職に聞いた。この回の震災でもかなりの寺が避難所になった。寺は宗教施設で檀家のものであり、人を救う施設だからこそ税金を払わなくていい、ということを思い起こす必要がある。