震災日録 7月9日

昨日のことをつらつら考える。町会というシステムは戦争協力をしたというのでGHQに解散させられた組織だ。それが戦後、復活して自治団体というより行政の下請け化してきた。町会にも町会長や役員にもよるが、ヤマサキは30年前、町会の会合に出席の返事をしたら役員揃ってでないように説得にきたと言うことだ。谷中のNさんは最近こして来たのに同じようなことがあったと言う。「来ても役員ばかりでつまらないから来ないように」といわれたらしい。幹部だけで決めたい、ということか。それが嵩ずると私物化が始まるのではなかろうか。谷根千を発行する間にも、もちろん個人的にはいい方が多かったが、組織としては形骸化している感は否めない。町会に入っていない人も多いし、町会だけが町の正式な代表というのはどんなものか。

きのうの会で元気な子連れのお母さんが「冒険遊び場を作りたい」と発言し、年配のお母さんが「初音の森は歴史的な場所として保存したのだから荒らしてはいけない」と答え、いろいろ考えた。私たちも25年前に世田谷みたいに木登りも出来る、火も水も使える冒険遊び場をやりたかったのに出来なかったから、若い母親を応援したい気持ち。でも「きのう今日来た人たちが歴史を踏まえず勝手なことを言い出すのは困る」という気持ちも正直言って少しある。

谷中や根津のような古い町は焼けなかっただけに何代も続く住民が我が物顔になりがちで、戦後きた三崎坂の野池さんなんかもいまでこそ連合町会長だが、さんざん新参者と言われて苦労なさったらしい。私のうちも親が二人とも下町と山の手の空襲で焼け出されて動坂に来たわけだが、それは親のせいではない。戦争のせいなのだ。何代も続く住民もきのう来たばかりのひとも同じ権利同じ発言権がある。これは当たり前のこと。ただ昔からいる人の見てきたこと、知っていることは尊重すべきこともある。谷中たねっこなどのお母さんたちも子育てセンパイである我々に何か聞いてくれればなあと思う。

ともかく原発によってふるさとを失った人たちが行った先で「よそもの」「しんざんもの」などといわれないように私たちはがんばらなくては。

一方昔を訪ねれば谷根千は北條時代は同じ人の地行地であり、あとから行政が引いた線で、文京区だ台東区だとおたがい批判しあい、区民じゃないから口を出すな、というような考えにも首を傾げる。台東区民も森鷗外図書館でよく見かけるが、税金はらっていないから使うな、などという人はいない。谷中コミュニティセンターも文京区の人が使っている。そりゃ小日向の施設へ行くよりよりよほど近いのだもの。今回の震災の経験を見ればわかるように、人はより近くて安全なところに向う。私も化学薬品や実験用動物が多く、ビルだらけの東大に逃げる気にはなれない。谷中墓地方面に向うと思う。とはいえ防災センターに付いて意識の低い文京区にも区民として働きかける必要はある。