震災日録 6月1日 磯あそび

私1人のみしゃんに落してもらい、仁さんと磯あそびにいく。長靴はいて岩場を行くのはものすごく疲れる。でもシッタカやトコブシもとれるので張り切る。岩からはがしたアワビの表面をナイフでこすり、身をえぐりだし、塩で洗って食べる。そのこりこりとおいしいこと。と思ったらウニを踏んでそのとげが長靴を突き抜けて足に刺さり、いたい。海には毒を出す生物もいるそうで「ビーチサンダルはいて泳いだ方がええよ」と仁さん。「世界遺産になったらこんなふうに自由に獲れなくなるかもよ」と心配している。おばあのちえちゃんは大正生まれ、86歳なのに大きな病気したことない、綺麗好きでよく働く。

「子どもの頃は何でも家で作ったし、大島紬も織った。16歳のときにおじさんに連れられて東京にいってミシン踏んで兵隊さんの慰問袋に入れる褌を縫っていたの。空襲は恐かったよー。終戦後、奄美はアメリカの軍政になって、日本でなくなったら帰れないとあわてて帰って来たの。それから結婚したんだけど仕事がなくて沖縄に夫婦で出稼ぎにいって土方やってた。こんどは奄美が復帰になったら帰れなくなるとまた急いで帰って来たのよ」

ほっそりしてにこにこしているけど、大変な人生である。トコブシは台所を借りてバタ焼きにしてみた。夜、姪のタカラちゃんが三線を弾いて歌いに来てくれた。みんな遅くまでカラオケをやっていて病人継続中の私はそれを聞きながら寝た。