震災日録 5月31日 西阿室・南龍にて

昨日にもまして快晴。秋徳小中学校でスズキさんの息子誠さんが石巻で地震と津波に合った話を聞く。缶詰会社に勤めていて、とにかく50人の社員は高台に徒歩で逃げて無事。全員なくなった会社もあるとか。ついて来た仁さん「焼酎がっこうを出たんだからねえ」とにやにや。今は8人の学校に先生はそれ以上いる。「男はつらいよ」のロケ地となった西阿室へ行く。スズキさんは郵便局で1000円積み立て。日本中の郵便局名の入った通帳を持っている。そのそばに相撲の土俵があった。朝汐関は奄美の出身だそうだ。眉が濃く背中に毛が生えて、色白の柏戸と対照的な力士だった。ガジュマルの大樹の下でうとうと。こういうのをブリーズというのだな。それから実久海岸のすばらしい青いビーチで泳いだ。他の人はかき氷を食べて居眠りしていたのだけど。

今日の宿は南龍。おじさんは奄美のひと、ながらく大阪で中華料理と喫茶店と雀荘までやっていたとか。

「よおくもうかったのよ。それ島にきて全部なくなった。子どもがいないからね、親戚の子どもを大学出したりしてね」「海岸も変わったのよ。こんなにコンクリートで固めて世界遺産なんて目指せるのかね。ばしゃ山村の社長さんは一生懸命反対して自分とこの前のビーチは手をつけさせん。えらいもんだねー」

夜はグルクンの唐揚げ、きはだまぐろの刺身など。