震災日録 5月21日 唐揚げと肉じゃが

今日はわたしたち文京区チームが日本食をつくる日。だけど4時間もあればじゅうぶんだから、きのう見つけた宿の近くの魚屋さんにサバを頼んであるし、と映画「フラガール」で有名な「スパリゾートハワイアンズ」へ行ってみたが、もちろん閉鎖中。そのへんのスカイラインをフラフラ走って内郷へおりラーメンを食べた。いわきは広く4・11の余震では山間部の道が崩れたりした。あちこち通行止め。飲食店もパチンコ屋も営業中。

実際には場所によっては朝や昼は自分たちで炊事しているところもある。わたしも東京にいると「自分なら一週間とは耐えられないだろう。配食より自立支援のほうが大切なのでは」と思っていた。しかし来てみると避難所に残っている方はお年寄りや乳幼児連れが多い。行政からは日替わりでいわき市職員、そのほか県職員、長崎からの支援職員がいて、長くいる長崎の職員のほうが避難所に通じているといわき市の方。私たちだって最初の日は炊き出しにとまどったが、2日目からは場所にも道具にも慣れたもの。

モスクに着くと心配したムスタファさんたちが鶏肉の皮をみんな外してくれてあったが、本来は皮付きで唐揚げを作るはずだった。肉じゃがに入れるべき牛肉はなくこれも鳥を使うことに。頼んだサバはかちかちに凍り、解凍しておろさなくてはならない。さあ、間に合うか? 私たちは浅田さんの号令のもと実によく働いた。どうにか6時には江名小学校にご飯、サバの味噌煮、肉じゃが、唐揚げ、キャベツと胡瓜の塩揉み、という豪華メニューを届けることができた。うれしかったのは昨日会ったJCのお二人が忙しいなか、いちご入りシュークリームをおみやげに様子を見にきて、配食も手伝ってくれたことだ。こどもたちは大喜び。「用もないのに冷やかしにいくみたいで避難所に来られなかったのでいい経験になった」とお二人はいってくれた。

それにしても何でムスリムの人たちがこれほど日本人のためにはたらいてくれるのか?

「アラーの神は隣人が困っている時に助けないものはムスリムではない、といっています」と簡単な答えだった。アキルさんは貿易商だそうだが、「そんなに仕事をやすんでいわきばかり往復していいんですか」と聞くと。「大丈夫、私のいない間は神様が代わって仕事をしてくださいます。そしてそっちのほうがいい仕事ができるんです」とにっこりした。小学校では言われた数より多い食事が出た。避難所にいない人も食べたりする。「そういうの、気にしないんですか?」と聞くと」「どうして?」と不思議そうな顔。おなかがすいているひとが来たらあげるのが当たり前、というのだろう。わたしは自分の狭量を恥じた。避難所のひとが食べ終わると職員にふるまい、最後は自分たちと手伝ってくれたJCの方たちで楽しく食べた、これも行政からお金が出ていれば問題もあろうが、なんたって自分たちでお金を出して作っているご飯なのでやましいことはない。そしてムスリムの方たちは「いっしょに食べること」ととても大事にしている。手伝いにいった私たちにも毎回、カレーをいっしょに食べようというし、休憩にはマサラティーを入れてくれる。これ大好き。

片付けたが終わったのが7時半、それから車を飛ばして東京に着いたのが11時だった。

「広野町の住民がいわきに逃げ、いわきの人は東京に逃げ、東京の人は京都やパリに逃げている」という言葉が忘れられなかった。もうどこにも安全なところなどない。