震災日録 5月14日 文部省と科学技術庁

今日の平凡な一日。

歯を抜いたあとを消毒してもらう。しのばず通り、つけ麺屋とラーメン屋の前に列。花粉症の時期も過ぎ、誰もマスクをしていないが、大丈夫なのか。私もしていないが。

「今年の夏は暑くなりそうだ」が挨拶。「冷房が使えませんからね」。オフィスでもジーパンにTシャツ、アロハでもよくなるらしい。はめ殺し窓のオフィスはどうするんだろう。よみせ通り、野田屋でオーガニックワインを赤白二本、谷中コーヒーで豆、魚屋さんでゲソとあら、と買ったらもうランチに入る気分ではない。それにしても5月の谷根千は花でいっぱい。団子坂上で牛肉と鶏肉、家に帰って昼間からワイン。このところ疲れすぎた。きょうはヤマサキが登米にいったので私は乗らなくてもよくなって、めまいのする体を休めることに。

夜、桜井さんから電話。「文部省と科学技術庁が合体したのがよくなかった。国策の原発推進を副読本で叩き込まれている。われわれの世代はビキニ環礁核実験で雨にぬれるな、ミルクを飲むな、で恐さが叩き込まれているし、スリーマイルやチェルノブイリも知っている。今の2、30代は原発はクリーンで安全で育ってきた」「いまこそ何か言うべきなのに環境省はまったく存在感がない」「勝手に20ミリシーベルトにしたことに対して東京の親たちももっと騒ぐべきだ」「福島の学校の校庭の土を削るのは東電がやるべき仕事。ダイヤモンド鉱山が爆発したらダイヤモンドを拾い集めるでしょう。俺のもんだって。放射能を作ったのは東電なんだから、製造物責任でも汚染土壌を自分ところで拾い集めさせなくちゃ」「そもそも学校は夏休みまで休みにしたっていいんじゃないの? マニュアル通りはじめるから、子どもは避難できなくなり、避難所になっているところはまた第二次疎開しなくてはいけなくなる」

東京の富ヶ谷国民学校が青森に疎開した時の記録がNHKのドキュメンタリーになっている。「親はみんな晴れ晴れした表情、子どもだけでも安全なところに逃がせたら親はうれしい。それで後顧の憂いなく仕事に励める。そういう風に今回もするといいのに」

飯館村がようやく自主避難をはじめるというニュース。その中に妊婦や赤ちゃんもまだいるとあってびっくり。まだいるなんて! 東電清水社長、社員の退職金年金に手をつける気はないとか。「それぞれの老後の設計もある」。東電のせいでしごとも家も失った人がこれだけいるというのに! その人たちの老後の設計はどうなるのか? 会社社長の友人(女性)が東電社員は避難者に家を明け渡せといっていた。そんな、非現実的な、と思ったが、今日のニュースを見て、そうすればいいのに、と思った。