震災日録 5月10日  細く長い支援について

朝、ポプラ社から出すエッセイ集「おたがいさま」の原稿を渡す。去年、このタイトルにしようと決め、営業部の人たちも気に入ってくれ、みんな個人主義で浮かれている社会、個人で悩んでいる社会に一石を投じようということだったのだが、なんだか時代にぴったりしすぎるタイトルになってしまった。

昼、久しぶりに谷根千なかま4人で昼食。忙しくてなかなか顔が合わない。

たんぴょう亭のおいしいご飯、おじさんたちの優しい笑顔がうれしい。この間の疑問をヤマサキに聞く。

「どうしていわきの野菜とか持って来て売ってるのに、こっちからまた野菜きざんで食事作って届けなければならないの?」

「東京からでなく後背の被害の少ない農村部から野菜や果物を送るわけにいかないの」

各地に行った人の話によると、

*避難所によって情況や雰囲気が相当違う

*被災者は家や仕事をなくし、ぼうぜんとしていることが多い。

*初期には持って行った食事を取りあう、配ってくださいと言っても誰も手伝わない、手弁当の民間支援なのにお金もらってやっているのだろう、と思っているようでお礼などはいわれない、という情況も見られた。

*市役所の職員は毎日日替わりで、リーダーシップをとりきれていない。

*ボランティアで長くいる人が号令をかけるようになるが、その人の性格ややり方で雰囲気が左右される。外からの支援を断るところもある。

*とてもひどいところは自衛隊が来て、パックご飯やパンを配っている。

*近くには飲食店もあるが被災者はお金を持っていない。まだ救援金が配られていない。

*避難所によってはまだ、炊事する器具や冷蔵庫、洗濯機もないところもある。

*仮設住宅に入ると自炊しなくてはならない。年金のでている人以外そのお金がない。

*仮設の人が食糧をもらいにくると「仮設に入れたくせに」と排除する人もいる。

*避難所の縮小や統廃合が起こると、そこでまた新住民旧住民のトラブルも起こる。

*ちょうど原発から30キロ圏のある学校では校庭でクラブ活動をやっている。

*みんなマスクなどしていないので支援者だけがするのははばかられる感じ。

伝聞なので間違った情報も含んでいる可能性があるが、ようするに人間社会にありがちなトラブルが当然、過密の避難所でも起きているらしい。それだけ情況が過酷だということだ。

対立を緩和し、自立をうながすような取り組みはできないか。ヤマサキはかなり疲れている。最初の頃「偽善と自己満足のあいだをウロウロしているような気分」といっていたが、私もなにをしてもそんな感じにとらわれる。明るくおおらかな避難所が増えますように。