震災日録 5月8日 地域で被災地を応援

日曜日。いい天気。昼すぎ、かなかなさんの「谷根千てづくり市」へいった。路地いっぱいに店がならぶ。福島県のジャムや織物を売る店もあった。地域でもフクシマを応援しようという動きは広がっている。谷中銀座は相変わらずの雑踏。三代百年続く魚亀さんが廃業。先代からよく知っているだけに残念。安心な鮮度の高い魚が仕入れできなくなったため、というようなことが書いてあった。

夕焼けだんだん上の深圳では、はてなさんが私の仕入れてきた角田の米や大崎の酒を売っている。5キロ2500円は原価、大変おいしく無農薬だが、値段のためなかなか売れないらしい。きょうはめぐちゃんの帽子屋さんも。これから紫外線を防ぐにはよさそうなつばの深い、帽子を作っている。早速買う。

被災地に親戚のいる人から、「津波のあと、おじいさんが庭にへそくりを埋めておいた、と言い出し、みんなで探したけどなかったって」という話を聞く。

なんと2000万埋めてあったとか。うちの先祖は台風のとき流されてきた金の壺を拾って長者どんになったという話が丸森では伝わっているが、あながちウソではないかも知れない。

NHKは相変わらず美談のたれながし。津波の1時間半番組も見たが「地震が起きたらすぐに高台へ逃げましょう」以外に特に新しいことはなかった。民放の「がんばろうニッポン」や「日本はひとつ」も気味悪い。岡倉天心の欧米の植民地主義に抵抗するための連帯を表した「アジア・イズ・ワン」が戦時中、いかににすり替えられて八紘一宇の旗となったか、憶い出すたびぞっとする。