震災日録 5月5日 城端

七尾から城端の曳山まつりを観に行く。昨年11月世界遺産登録15周年を迎えた白川村でお世話になった山口誠さんが七尾まで来るならぜひ城端もと誘ってくださった。富山県はもっとも縁のない県だ。行きの電車のなかでも「親不知」を通れば森鷗外『山椒大夫』に出て来た地名だな、と思い、魚津を通れば「米騒動のあった土地か」と思う。城端のお祭りは勇壮で巨大なでか山とは対照的に、京や江戸の花街を模した庵という屋台と繊細華麗な山車がセット。庵唄所望とある家の前に止まって三味線にあわせて端唄をうたうというなんとも雅なお祭りだった。着いて歩く男たちは紋付袴である。山を背景に町並みが映える。ホタルイカがおいしかった。

翌日は宝生津というところへ。案内してくださった宮崎さんは『東洋のベニス』というがなるほど、漁船とプレジャーボートが泊まる運河のような内川はゆるやかに蛇行する川沿いにおなじ傾斜の屋根がすこしづつずれて見え、時間を経たトタンの壁もなかなか渋かった。遠くに見えるのは富山新港の火力発電所。北陸電力は北海道電力と間違えないよう、陸電とも呼ぶ。明治29年、富山の薬売りで財を成した金岡又左衛門が中心となり、富山電燈を設立。山岳の多い地域なので水力発電が盛んで、火力、原発は開発が遅れた。見えるのは石炭火力であるという。この近くの伏木港からは唯一、ウラジオストックへの客船が出ていたはずなのだが、これはロシアでの中古車販売が低調のため今は休止中とか。