災害日録 5月3日 祭りも必要だ

長いこと、浮き足立った生活をして来たので、すこし離れたところから自分を眺めてみよう。ブログを読み返すと感情が先走って書いたところ、あらっぽいところもある。タイの奥地の支援と震災支援を並べて書いたがこれも単純すぎる比較だったかもしれない。

しかし大きな避難所に積み上げられた支援物資からなんでももっていっていい、というやり方は時が立つにつれ、問題が多いように感じた。とりあえず間に合わす、ということから、デザインや色を選ぶ楽しみ、買う楽しみも大事なことだと思うし。地域からも必要のあるところへは炊き出しへ行っているが、給食でなく、自分たちで調理、配膳したほうが気分がいい、元気が出るという人もでてきた。自立支援というような固く冷たい言葉は使いたくないけれど、自分が被災者ならそっちの方がいい。

連休、友人のなかにはとにかく国内で遊び回って金を落す、という人もいる。それもいいだろう。七尾のお寿司屋さんは「今年は年度替わりの送別会も卒業祝いも自粛で売り上げが落ち込んだ。お祭りに期待しています」といっていた。でか山の木遣りにも「東北の被災地へエールを送ろう」というフレーズがあり、法被姿の肩に「がんばろう日本」とちいさな文字が見えた。でか山を引くと厄よけになるというので私も引いた。「こんな遠くだから何もできなくて」という七尾の醤油屋、鳥居正子さんは大塚モスクに醤油や味噌を炊き出し用に送ってくれた。骨董「竹のはし」さんは募金箱の中身を私にくれた。いわきへの炊き出しに使わせていただくことに。