震災日録 4月26日

まだ冷蔵庫もない、自炊すらできない、こんな避難所があるということを知っていただきたいと思う。

「4月22日の大塚モスク被災者支援18便の報告より
10時21分、チキンと野菜のカレー150人分、牛乳(1L)36本、お菓子類を積み、出発しました。
途中、道路は所々ひび割れしていたり、段差が続きました。
12時54分、いわき芸術文化交流館アリオスに着きました。入り口には、ダンボールで囲い休んでいる人がいました。上階は囲いなどなく、それぞれ毛布が敷いてあり座っている人が多くいました。職員もそこにいました。福島県、いわき市、長崎県の職員が在籍していました。話を聞くと、避難所には130名いて、子どもは20名ほどとの事でした。お風呂は、近くに銭湯があるのと、自衛隊によるお風呂までの送迎巡回バスもあるそうです。
炊き出しで要望のあったのは、八宝菜丼、シチュー、肉と野菜の味噌汁など、野菜が多く入っているものでした。普段はおにぎり、パン、カップスープなどを食べていて、自分たちで作ることは(規定で煮炊きが禁じられているので)していないと話されていました。冷蔵庫もないため、野菜ジュースなど常温保存がきき、小さなパックの物が助かるとの事です。果物は単独で渡すよりも、炊き出しの付け合わせとして出されると嬉しいとの事でした。

次に、津波被害が大きかった小名浜港を通り、江名小学校にお菓子を渡しに行きました。この避難所には150名の方が暮らし、子供は15人ぐらいとのことでした。高台にあるこの小学校にも津波が押し寄せてきたとの事です。家庭科室は他の避難所の方たちが利用していて、ここではテントでプロパンガス釜が使えるようです。朝食はパン、おにぎり、ビスケット、昼食、夕食はおにぎりと味噌汁を食べているとの事でした
。高齢者が多く、体育館の中では2つのストーブと毛布2000枚で暖を取っていました。ここでもダンボールなどの仕切りがなく過ごされていました。職員に聞くと、みんな近所の人たちだからうまくやっているとの事でした。今月27日にカレーの炊き出しを約束しました。中学2年生の男子は、カルピスが飲みたいと元気に話していま
した。17時ごろ、炊き出しをするアリオスに戻りました。
避難をしている方と話をし、その間も地震があり、「怖いねぇ、1年は続くみたいだよ」と不安そうに話していました。夕食の時間になり、カレーを配りました。職員が鍋を温めてくれ、地元のボランティアと一緒に配膳しました。「美味しかった」ととても好評でした。

次に3箇所目の避難所、福島県立平工業高等学校に行きました。ここは130人が滞在しており、昼間は学校などに行く人がいるので、日中は1/3程度の人がいるとの事です。こちらもお風呂は自衛隊による送迎巡回バスがあるそうです。
80%の方は家が全壊し、20%の方は家が半壊したとの事です。浪江町から原発のために避難して来た高齢の女性は、私たちが行くと笑顔で迎えてくれました。何が食べたいかとたずねると、カレーと話してくれました。
19時10分ごろ、避難所を後にし、帰路に着きました」

マスコミが避難所の静穏を乱しているとも付記されていた。ニュースで見るとNHKは停電中もライトをつけて夜の避難所のなかを撮影していた。何人ものお年寄りがまぶしがって、手をかざしたのに。私は避難所のなかは昼間でもほとんど撮れなかった。テレビ局のクルーは5人掛かりで撮っていたけど。

今日は浜中佐知監督『百合子、ダスヴィダーニャ』の完成試写を西麻布に観に行った。
映画はよかったけど、いま表参道、西麻布を歩くのはつらい。まえからこけおどかしと過剰包装の町だと思ってきたが、いかにも業界人といった感じの人々、ブランド品を持った若い女性、装飾的なショウウィンドウを見ていて頭が痛くなった。神保町で降り、古書店とラーメンやの中を歩いて少し落ち着いた。
やっぱり東京はおかしい。