震災日録 4月23日

21日の福島の人々による文部科学省交渉の記録がすでにアップされていてそれを見る。若手官僚の対応が実にひどい。何もわかっていないのか、わざとはぐらかしているのか。
子どもの安全基準、根拠不透明~市民の追及で明らかに
映像ドキュメントでも編集中。

これについて
正気を疑う文科省の学校線量基準-合原亮一
【緊急声明と要請】子どもに「年20ミリシーベルト」を強要する日本政府の非人道的な 決定に抗議し、撤回を要求する
子どもに20ミリの撤回を要求する要請・署名フォーム

川原理子の報告

――21日に、参議院議員会館で、喜多野さん、吉川さんと、「文部科学省・原子力安全委員会交渉 子どもに年20ミリシーベルトの安全基準を撤回せよ」を取材してきました。

文科省が、福島県内の小中学校や幼稚園、保育園などで、被曝量が年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト)を越しそうな施設に対しては、屋外での活動などをひかえてほしい、という知らせに対して、市民団体側からどのような方法、根拠で年間20ミリシーベルトまでは大丈夫という安全基準が決められたのか、子どもは大人より放射線の影響を強く受けるというが大丈夫か、内部被曝のことは考えているのか、などの質問がでましたが、文科省の人は、質問を「持ち帰って」ばかりですし、安全委員会の人は、「文科省から20ミリシーベルトでどうですかと聞かれて、会議も開かず、2時間で決め、方向性は聞かれる前から決まっていた」と言いました。
そして、「でも、決定したのは、わたしたちでないですから」、と逃げ(?)たので、おどろきました。しかも、となりに文科省の人がいるのに。

やむをえないといって、「苦渋の決断の顔」をしてみせながら、第一原発の作業員の被曝限度量を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに上げたけれど、こんどは、「子供たちの被曝をできるだけ少なくする」といいながら、1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに上げました。

福島第一原発の事故後、福島県の各市町村で放射線量が測定されていて、積算の放射線量としてそれを足していたのですが(作業が遅く間に合いませんでしたが)福島県内7方部 環境放射能測定結果(暫定値)福島県・環境放射能測定結果・検査結果関連情報
福島県放射線モニタリング小・中学校等実施結果
福島県・ 小中学校等モニタリング

各学校で測定された放射線量は施設ごとに多少差があり、継続して測定していたものより数値が高いところもあるようです。測定値が、校庭など、土の上だからでしょうか。――

官僚用語。「ご案内の通り」「その件につきましては存じておりません」「調査して参る所存でございます」今頃何いってんだ、ぼけ!

昼から白山ルームで木崎さんと映像編集。『ダムとわたし』映画祭で上映した大西暢夫監督『水になった村』のお話、いま原発に騒いでいる世の中からはちょっと遠い話かなあ、と思ってもう一度見たが、まさに原発と同じであった。静かな暮らしをしている過疎地に突然、自然を改変する巨大計画が持ち上がり、合意形成もないままにボス(首長や土建業者やえらいさん)が電源立地などのうまい汁を吸うため、計画に乗ってゆく。

そうして山の恵みで豊かに暮らしていた人々はふるさとを追われ、隣人を失い、スーパ-で野菜を買い、ついには孤独死する。もう体は土に帰れない。

大西監督の話はもうすぐアップします。この日、誠之小学校の小さな同窓会、さっと8人も集まりやんちゃ坊主に戻った。わたしたちはまだふるさとを失っていない。