震災日録 4月15日

今日は朝9時JR東日本に要望書を届けにいく。朝、ラッシュアワーに乗る。間引き運転だから混む。遅刻できないので新宿の本社前のスタバでコーヒー。道行く会社員はみんなマスク。終わってからこれからのことを相談。帰って賛同者への報告を書く。多児さんに送ってなおしてもらい、今日行った5人の名で賛同者にまわす。

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みなさま

本日朝9時、JR東日本へ「東京駅赤煉瓦駅舎の屋根のスレートについて」(おまわししたのと同じ文面です)という要望書を渡しに行って参りました。4月10日の呼びかけからほぼ5日間のあいだに3037名の方が賛同してくださり、その名簿をつけてお渡ししました。研究者、建築関係者、また登米や仙台の被災地の方々、広く全国のいろんな仕事をお持ちの方々がいます。24年前、駅舎保存の時に手書きで封書で署名を集めていたころを思うと夢のようです。みなさまの思いをお届けして参りました。

JR東日本では広報部、建設工事部、設備部、総務部のかたが丁寧に対応してくださいました。その中でいままでわからなかった工事の進捗情況がわかってきました。

*辰野金吾設計の大正三年の創建当時は雄勝産のスレートで葺かれていた。
*戦後、戦災からの復旧のさいは登米産のスレートで葺かれた。
(ここまでは既知)

*今回の修復ではできるだけ登米産のスレートは再利用する、足りない部分も雄勝産の国産スレートを使いたい、という方針だった。しかし雄勝は職人さんも少なくそれほど新材の量がみこめなかった。また三階やドームの復元などがあり、足りない部分はすでにスペイン産のものを発注してあった(線路側など見えない部分に使う)。
*登米産のスレートは一部、すでに南北ドーム下をそれで葺いてある。
*残りの登米産の使えるスレートが北上の熊谷産業で被災、雄勝天然スレートの新材も被災、どちらも人的被害がない、ということだけわかっ たがまだ現況がつかめていない。

「来週、現地を視察し、現況を確かめ、被災スレートのうち使えるもの は文化財保存の鉄則に従い使いたい」と確約してくださいました。ただし、「重要文化財であり、駅舎として活用する以上、海水に浸かったス レートの安全性などの検証が必要」とのこと。

この5日間にいろいろな専門家や文化庁なども働きかけてくださったと聞いています。JR東日本の方たちと忌憚ない意見を交換しました。わたしたちとしては 被災地を落胆させず、被災地を励ますための活動をJR東日本と協力して行いたい。スレート洗いのボランティア、被災地でスレート洗いの雇用を作り出すことはできないか。寺社で行われる瓦寄進のようなことが東京駅でもできないか。スレート一枚ずつに祈りやメッセージを書いて屋根に載せられないか。東北と東京を結ぶ玄関口である東京駅を東北復興のシンボルにしたい、そんなことを話し合い、なごやかなうちに会合は終わりました。

ともかく、「被災スレートをできるだけ使いたい」と確約いただけたのは、みなさまのお声のおおきな成果と考えます。これからJR東日 本の現況確認と調査の結果を待ちます。

募金したいという声も大きいのでとりあえず「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」のなかに「東京駅スレート屋根基金」をつくります。これは 被災スレートの救出、水洗い、使用へ向けての活動に限定して使います。
また文化財保存に不可欠なスレート産業の復興については可能性を探りつつ、新しいご提案をしたいと考えています。短期間に賛同署名を集めてくださったみなさま、本当にありがとうございました。

呼びかけ人
「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」
事務局長前野まさる 多児貞子、森まゆみ、山本玲子、椎原晶子

会社も家も流された茅葺き屋根工事熊谷産業はプレハブで再起。東京駅の屋根ためのスレートは最優先で拾い集めました。これは戦後の修復の際の登米産、最利用してほしいものです。

会社も家も流された茅葺き屋根工事熊谷産業はプレハブで再起。東京駅の屋根ためのスレートは最優先で拾い集めました。これは戦後の修復の際の登米産、最利用してほしいものです。

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ドロナワで荷物を作る。古着も顔の見える関係ならオーケーか。だいたい自分だって服を買わないのに新品を買ってまで送るということにちょっと抵抗がある。下着は買ったけど。クマちゃんは、いいよいいよ何でも持って来てというので、社員の顔を浮かべつつ、男物にアイロンをあてる。着る人の顔を思い浮かべるということは大切だ。このまえも靴下を持って来てと言ったらずいぶんストッキングが入っていた。避難所でストッキングがいるかいな。どんどん本が段ボールで届く。向うへ行って渡す簡単なメッセージを作る。

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「こどもたちに絵本とマンガを!」プロジェクト

このたびの東日本大震災にあわれたみなさま、心よりおみまい申し上げます。
避難所で電気や水道も不自由ななか、生活は大変なご苦労だと思います。
まずは食べもの、着るもの、ふとん、暖房などが大事だと思いますが、心の糧としての読書の時間も大切です。

お持ちのご本も波に流されてしまったかもしれません。
毎週、買っていたマンガが手に入らないかもしれません。
学校も図書室ごと津波にあったところもあると聞きました。

仙台に「少年ジャンプ」が一冊しか入らなかった日、150人で回し読みをしている
というニュースが東京に届きました。
集英社のある編集者が『ジャンプ』を被災地に届けたい、と思い立ちました。
それに知り合いの編集者たちが協力して絵本やマンガを集めました。
きょうお届けするのは本当に少ない量です。
でもすべて個人的な努力で集めたものです。
どうぞ皆さんで読んでください。楽しんでください。

みんな元気でね!

森まゆみ・早川真理・滝川修

協力者・倉沢紀久子・足立恵美・平田賢一・佐川祥子・熊倉沙希子・山本明子・山﨑旬・岩田一平・河合桃子・稲葉希巳江・横川浩子・川原理子

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現地の情報を集める。消防の先頭に立つ宍戸克己さんよりメール。

「おばんでございます。
ハウスの中で、いろいろな苗作りも始まっています。
神明社の桜もいつもと同じように膨らみ、16~18日には咲いていると思います。
ほっとはしますが、素直によろこべない気持ちです。

相馬市から亘理町までの状況をお知らせします。
相馬市は6号線の東にバイパスをつくったので、そこまでが浸水域。岩の子は広い田んぼに松の木が横たわっています。
ホテル飛天の西側、道路に横たわっている船をよけて松川浦に行くと、たこ八あたりまで被害が大きいです。
新地に行きますと、6号線の西側まで浸水し船があちこちに見えます。釣師浜は、家並みがほとんどないです。
宮城県に入り磯浜。ここも釣師浜同様家並みがないです。新地駅、坂元駅は跡形も無く、列車も大きく脱線しています。
亘理町荒浜の鳥の海荘あたりもさら地状態になっています。すごい惨状です。
丸森町の筆甫中学校も南相馬市の方々の避難所になっています。133人、内19人が小・中学生で丸森の学校に通うことになります。原発の影響は、とても大きいです。
角田・丸森は学校によって14か15日が入学式になります。
原発とモニタリングの状況が気になる毎日ですが、元気を出していきましょう」

何となく寝付かれずいろいろ気になって何度も起きる。なるようになるさ。