震災日録 4月10日

新潟村上市の沖に浮かぶ粟島に馬をつかったスローな村にするプランのため観に行く。
人口350人だがここは合併をしない。村人の車以外は入れない。粟島馬という在来種が昭和7年までいたので、島の歴史とその聞き取りをして形にするのが私の仕事。

東京駅に早く着いて待合室でぼんやりしていたら、東京駅太陽光電システムを画面で知らせていた。ソーラーパネルで本日の発電量は234キロワット、いままでに41,826キロワット発電。一年で101トンのco2を削減できるとか。いいんじゃない?
東北新幹線は那須塩原までしか行かない。こんなすいた東京駅、初めて見た。

行きの新幹線で。3・11と9・11、同じ日に起こったなあと思う。神戸の大震災は1、17、その年の3・20が地下鉄サリン事件。3・20は須賀敦子さんの命日でサトコの誕生日だ。朝日新聞を隅から隅までよむ。本当にたくさんの人がかけがえのない家族をうしなったんだな、とおもう。なくなったのは65歳以上が55・4パーセントとのこと。

上毛高原駅で寄田君、カフェスローの吉岡さん、デザイナーの加藤さんと合流。
おととい、7日付けの東京新聞を見たヒロシが「寄田さんへ電話して! 南相馬にやせこけた被曝馬がいる。これ助けられるのは寄田さんしかいない!」という。
電話をしたところ、すでに救出要請があるとのこと。上毛高原へ現れた寄田さんの話。

「今除染してきたところです。暴れる馬を扱えるのはそうはいないからね。で、結論からいうと無理でした。相馬の中村神社の川嶋さんと行ったんですが、競走馬じゃなくって、競走馬上がりの肥育馬でした。それに持ち主がいるので勝手に救えない。もし馬が死んだら補償の対象になるので、連れて行くなら買ってくれということでした。
東京新聞には1,000くらいの反響があったそうです。相馬、南相馬、原町と馬の産地で、今回の津波ではかなりの馬も流されています。原発20キロ圏内の人もこっそり犬や猫に餌をやりにきているみたい。犬は鎖を放されても家に戻っていました。犬がちんと足をそろえているのや、僕らを見てよろこんで追いかけるので、もう心を鬼にして車で走りました。
警察官も放射能が怖いし、心ここにあらずみたいで、簡単に20キロ圏に入れましたよ。立ち入り禁止地区には誰も居ない。30キロ圏の境では住民が犬を連れて散歩してるし、40キロ圏ではジョギングしているし、もうどうなってんのという感じ。土地とか、先祖の霊とか言って離れられない、逃げられない人の住む土地に原発を造るのは卑怯だ。だって高級官僚とか東電の幹部なんて外国でも病院でも逃げられるんだから。逃げられるやつが原発を作っている。自主退避を勧告する、って形容矛盾ですよね。
地震の日の空の色が本当に変だった、と相馬の人は言ってました。それでもみんなのんびりと『原発ももうすぐ終わるから、そろそろ馬追い祭の準備を始めないと』なんて言っている。人間は悪い方の予想を信じず、希望の方を見たがるんだね」

私もそうだ。原発はもういやだ、と思うけど、どこかで誰かが放射能を止めてくれるんじゃないか、とはかない期待を抱いている。

粟島は奇跡のような島だった。離島振興法でたったような立派な建物もないかわり、めちゃうまい魚と温泉もあり、静かな暮らしもあった。350人の島に民宿が50軒。ここにカフェや馬や蓄音機が来て、電磁波や車や花粉にかき乱されない暮らしが作れたら。