震災日録 4月9日 めげない社長がんばる

石巻の熊谷産業、熊谷秋雄さんが東京に来て寄ってくれました。彼は旧北上町で北上川河口に生える葦を刈って全国の文化財の屋根を葺いています。友だちです。
「震災の時は東京で打ち合せをしていました。東北で大きな地震が起きたと知ってすぐに取って返しました。家族も従業員もさいわい無事でしたが、家も会社も流され、いまは小さなプレハブを建ててそこに寝泊まりしています。従業員は近くの追分温泉で泊めていただいています。追分温泉さんは震災後、商売なんて言っている時ではない、と宿そのまま避難所にしてくれました。温泉付きで助かっています。アルバムも着るものもみんな流され、残っているのはフィリピンで買ったこのバッグとレガシーの車だけ。帰ったら娘が「あ、車が帰って来た」と喜んで、私が帰ったのより喜んでた。妻と子どもは妻の実家に、両親は叔父の家に避難しています。水道は沢の水で、ガスはプロパンだから不便はなかった。電気がないから冷凍庫のなかにあったあわびとか、どんどん食っちゃおうと、豪儀なもんでした(笑)。
海辺の古い駐在所を買って、森さんにもきてもらったでしょ。あれも流されて、両隣や裏のうちの人もなくなられたので、妻は落ち込んでいます。堤防をチリ津波のあとかなりかさ上げしたので、大丈夫だろうと逃げなかったんですね。堤防で津波が防げると言う考えはまちがいです。すぐ逃げることです。うちの従業員は河口で茅を機械で刈っていたんですが、日頃から訓練しているのでみんなすぐ逃げました」
一緒にきた従業員のアブラカさんはモンゴル人。地震のあと、すぐ川から上がって逃げたという。一回目の津波のあと、ざーっと水が引いて、そのあとまたものすごい波が襲ってきた。また対岸の大川小学校で7割近い子どもがなくなったことも熊谷さんから18日くらいに聞いていたが、なかなか報じられなかった。
「学校が避難場所になっていたくらいなので、まさか波が来るとは思わなかったのでしょう。津波がきたのは30分後くらいだけど、助かったのは車で迎えにいった人の子です。知り合いは子供を乗せて帰る途中、後を振り向いたらあと3台しか見えなかったと。その後ろは波だった。実の親か祖父母でないと子どもを渡さなかったらしいですね。マスコミがあとから来てランドセルなんか写すのはどうかと思います。助かった子どもの心も傷ついていますから」
「石巻市はまだ罹災証明も出せていません。合併の悪い影響で、役所は混乱しています。証明がもらえないと、義援金や復興資金ももらえないし、ものすごいやることがのろいんです。うちも印鑑まで流されたので、知恵を働かせ、隣りの小さな自治体に住民票を移し、印鑑証明をもらいました。あと、仮設住宅というのはやめたいな。プレハブ屋さんはもうかるけど、また2年後には膨大なゴミがでるだけですよ。それより全国の林業家の協力でこれからながくすめる家を1500万くらいで建てた方がいいと思います。それをするにも罹災証明が出ないと。まあ、まえよりいいのをつくりますから」とどこまでもめげない社長である。
熊谷さんは茅葺きだけではなく、今回、赤煉瓦の東京駅の屋根の修復に関わっていた。
前回の修復の時の宮城の登米産のものがほとんど。その瓦をていねいにはがして、北上に運び、使えるものを選んで、汚れを取り、また東京へ運ぶという直前にこの震災だった。しかしJR東日本と施工会社は工事が遅れるとして、スペイン産のスレートを発注する予定だという。「きれいに洗えば全部使えるのになあ」と残念そう。
そもそも東京駅は私も加わった「赤煉瓦の東京駅を愛する市民の会」の市民運動がなかったら残らなかった。これを残してくださったのはJR東日本の英断ではあり、当時の松田社長もいまの大塚会長も文化財には大変造詣のある方である。その保存運動の際、登米町や雄勝町からはたくさんの署名が集まった。それは「東京駅のスレートはうちのスレートで葺かれている」というのが土地の誇りであったからだ。
スペイン産のスレートになってしまったらどんなに登米や雄勝のひとはがっくりするだろう。反対に津波にさらわれたスレートをみんなできれいにして東京駅にのせたら、それは東北の復興のシンボルになるだろう。
熊谷社長はいう。「いま登米のスレートは取りつくして、雄勝も『雄勝天然スレート』しか残っていません。木村満さんが社長ですが、そこの工場も工場の地震で全壊しました。ここがなくなるとこれから日本の洋館を日本のスレートで葺けなくなる。薬師寺など寺社の瓦に願を書いて寄進することはよく行われていますが、東京駅の登米産スレート瓦に東北への応援や復興祈願を書いて寄進してもらえば、木村さんの会社の再建に協力でき、東北の人たちも元気が出ると思う」
熊ちゃんの会社は?というと、「うちはいいんですよ。自分でなんとかしますから」とにこにこした。地震が起こって無一物になってからのほうがどんどん元気が湧いてくるという。無一物中無尽蔵とはこのことか。JR東日本も新聞に新幹線を復旧するなどの一面広告を出しているが、そんなことに宣伝費を使うより、熊谷産業や雄勝のスレートを応援する方が、会社のイメージはずっとアップするとおもうけどなあ。

ワシントンのジョルダン・サンドさんにおくったら『津波の被害は東京駅まで?』という返信がきた。そう意識することで、東京にいるわれわれも東北の受苦に心を通わせことができるのではないだろうか。