震災日録 3月29日

朝からむやみと仕事を片付ける。医学書院の漢方のテープ起こし。『保険師ジャーナル』のエッセイを送る。お礼状2通、支払い一件。『世界』の記事の校正。昼、北海道新聞のインタビュー、女性の記者がきた。千駄木在住とか。

ドイツでは古い原発を十何基止めているのになぜ日本は危ない浜岡や敦賀を止めないのか。ドイツでは日本の原発事故で25万人のデモになっているのに、日曜日に1000人くらいしか集まらなかったのは残念。それでも初めてのデモ、意義はある。ドイツの選挙では緑の党が大勝した。次ぎの選挙には脱原発党を旗揚げしたいものだ。

電磁波過敏症の友人は「空気が悪い」といって九州の温泉に脱出、一年くらいいられる家を探している。赤ちゃんが生まれたばかりの友人家族は京都に引っ越し。ホテル暮らしで情報をくれる作家の友人もいる。わたしも気のせいか、体調が悪い。のどが腫れてきた。少しどこかで休養したいが、サトコは東京、そのうえ、ヒロシも授業が始まるので帰ってくる。
久しぶりに中国整体院に行くと、大忙し。中国人の先生は怖がって帰っちゃったと言う。
「僕も怖いよ」といいながら働くリン先生は日本人の奥さんは北京へ行かせたとか。
東京新聞の『放射線』というコラムのタイトルがなんだか気になる。手塚治虫はなんでアトムとかウランとか主人公に命名したのだろう。
溜まり場に行くと『脱原発銀座デモ』の編集に追われていた。荒川さんの勇姿見て下さい。スローガン的な発言が多い中、簡潔に今するべきことを述べていた。いま原発から2、30キロ圏の屋内退避から自主避難となった人達がいる。畑が、牛が気になる。寝たきりの母を置いていけない、その気持ちは分かるが、赤ちゃん、子ども、どうぞどうぞ、遠くに行ってほしい。