2015年11月 のアーカイブ

10月2日

2015年11月17日 火曜日

毎日新聞「国交省は鬼怒川下流の堤防が脆弱であることを把握していたが、流域住民も常総市もこの事実を知らなかったように見える」。常総市などと名前を変えるのはよいことか。もとは水海道。鬼怒川は鬼が怒るように暴れる川。

10月1日

2015年11月17日 火曜日

日刊ゲンダイ、「支持率アップの切り札か!森会長更迭。」
mm 日本記者クラブで「新国立競技場」について講演。帰りに仲間と韓国ハルでマッコリ。「手わたす会」の国会請願は参院で採択になった。

9月30日

2015年11月17日 火曜日

パリやニューヨークでも戦争法案NO。
mmサントリー地域文化賞。久しぶりに佐々木幹郎さん、藤森照信さん、御厨貴さん、進士五十八さんにも会い、意見交換。

9月29日

2015年11月17日 火曜日

国立競技場の文科省が設置した第三者委員会の報告を読み、「手わたす会」の声明を作成。「検証委のヒヤリング。やっぱり文科省、JSCのお役人は言質取られないようにもにょもにょいっててわけ分からず。一番面白いのは構造の和田先生とザハ事務所。和田先生、ローマのサンピエトロ寺院から韮山の反射炉にまで御言及」「文化財保存や修復にあの2520億あったらなあ」という声も聞く一方、「無駄な防潮堤を作るお金を新国立に持ってってくれ。あんなもん、すぐ建つよ」という声も聞く。
mm本駒込の池本さんの家で、清水ますみさんの亘理の腹こめしを食べる。サケといくらが入り美味。

9月28日

2015年11月17日 火曜日

教皇フランシスコ、武器取引の断絶と移民への門戸開放を米議会に要請。経団連と真逆。mm一日、記者クラブでの講演のパワポづくり。

9月27日

2015年11月17日 火曜日

mm成田着。みんなにさよなら。帰りに一人、日暮里で「かわむら」のかおりそばで喜楽長。しあわせ。

9月26日

2015年11月17日 火曜日

この時期のスリランカは北東は乾期で、南西部は雨期。朝も食事中、とんでもない横殴りの雨が降り、ボーイたちがあわてて窓のビニールカーテンを降ろす。泊まった3つのなかで、このライトハウスはジェットウィングというチェーン系列で、そこの管理がよく、きれいに維持されているがそのぶん、改修されて、もの寂びた感じが失せている。ゆっくり行きたいところだがそうも行かない。世界遺産の城壁の町ゴール見学。バワの設計した大学見学。アーユルベーダののち空港へ。
これがまずい。体中が活性化して眠れない。一晩むずむず症候群と闘い、自分を持て余した。飛行機に乗るこつは事前に体をいじらず、食べず、飲まずだ。

9月25日

2015年11月17日 火曜日

朝、パヴィさんが、ホテルの朝食は高いから、家に行ってカレーを取ってくると言い出す。意味がよくわからなかったが、家はここからわりと近いのだとか。好奇心を起こし、トクトクに乗って一緒に行く。本当に村のなかの家だった。携帯で頼んであった、お母さん特製のカレー二種とご飯、パンを買って帰る。みんな喜ぶ。こんな融通無碍な感じがスリランカのみならず、アジアにはまだあり、管理社会の日本と違う。この日はのんびりして、バワの別荘を見に行く。美しい家と庭。水田や畑もある。それを見るのが好きだった。盆栽に凝って、枝を曲げた木もあった。彼はゲイだったそうで、妻や子どもはいないらしい。昼過ぎにゴールのライトハウスホテル(バワ設計)へ。そして2003年のスマトラ沖地震の後をNGOの人の案内で見て歩く。そのうち豪雨になる。

9月24日

2015年11月17日 火曜日

泊まったホテルは安宿だが清潔で、雨が上がった後のきらきらした光。最高。9時にちゃんとむかえに来た。しかしそこからコロンボを通ってシンハラジャの世界遺産の森までがたいへん。途中で山本先生の大学院に今度入るパビットラさんをピックアップ。ついたのが1時過ぎでそこからジープに乗り換え、またがたごと1時間するとゲート、数学の学校の生徒がたくさんいて、女性とはみんな長い髪の毛。そこからジープでゴトゴト道を上がり、そこからまたに2時間ほど森を歩いた。昼は車の中、夕食を終えベントータビーチホテル(バワ設計)についたのは9時頃。
パビさんと私は同室になった。お父さん、お母さんは小さなブティック経営、弟と妹のいる28歳。
彼女はキャンディのよい大学を出て、木材会社に勤めた。スリランカは発展途上国。女性は大学に50パーセント以上いるがだいたい、家庭に入ってしまう。日本語はまったくできない。
しかし夜、必要な10くらいの言葉を教えると、直ぐに覚えた。ありがとう、今日は、おはよう、さようなら、ごめんなさい、どうぞ、大丈夫、いくら? 高い、安い。でも日本は値切らないで現金正価で買う事、と教える。
28歳にしては堂々としているし、あまり怖じけずに、でも親切に私の写真を撮ってくれようとしたり、部屋では邪魔したという自覚があるのか、隅っこが好きなの、とエクストラベッドで寝たり、紅茶やコーヒーを入れてくれたり気を使う。
大学は全国に3つしかなく、行くのは5パーセントくらい。つまり彼女はとても優秀なのだ。

9月23日

2015年11月17日 火曜日

朝は6時に起きて、ホテルの中を探検。バワは1918年生まれで、最初ケンブリッッジで英文学を学び、それから弁護士になり、38歳で建築家になったとか。国会議事堂も彼の作品。これは建って24年で、わりと後期の作品。はじからはじまで1キロあり、スリランカで一番長いホテル。それでも客室は150もなく、ゆったりしている。プールは三つ。2階のを見に行ったが、猿の群れがいてとても入る気になれない。7階のに入る。
今日は伊東忠太が訪ねたナランダの寺院を見る。誰も居ないが大変すばらしかった。それからヤシの実工芸のアーティストの家。スパイス工場、紅茶の工場、仏像や宝石、家具の店など運転手さんの案内で見て歩く。
頭に塗ると毛によく、目にも利く、ココナツオイル。レモングラスの虫除けスプレー、サンダルウッドのしみしわよけ顔に塗るものなどを買った。だまされているようでもあるが、欲しかったもの。
昼間はベジタブルライス。鳥のカレー、エビのカレー。ビール。とても庶民的な店でクマちゃん、喜ぶ。
午後はキャンディにいく。シンハラ王朝の都の世界遺産。しかし町中は渋滞で車を止められず、車でぐるっとまわる。植民地時代の様式の建物がたくさんある。後藤さんを空港に送ってネガンボ泊。