2013年12月 のアーカイブ

11月30日 青鞜の冒険

2013年12月25日 水曜日

午後、千石のNPO現代女性文化研究所にて『青鞜の冒険』について話す。「らいてうの会」ほか、わたしより『青鞜』研究に年季の入った方もお出でになり冷や汗。らいてうと一時恋人のようであった西村陽吉は長嶋茂雄夫人のおじいさんだけど関係ないから書かなかった。そういうと「そういうの書いてあると面白いのにねえ」という人も。保持研の研究者、同郷の池川玲子さんに久しぶりに会う。20年以上前に彼女はまだ20代で、谷根千の近所にすみ何度か遊びにきてくれた。保持が茅ヶ崎の南湖院に住み込んでいた経緯。院長の高田こう安(田篇に井)が肺結核の患者の自立と殖産をかんがえ、軽度の患者は積極的に雇って事務を手伝わせたりして給料を払っていたことも知る。彼の墓は谷中墓地にあるが、らいてうの自伝は「たかだゆうあん」としている。これは「こうあん」がただしいらしい。またわたしの本は東雲堂に「しののめ」とルビを振っているが、これも「とううん」が正しいと池川さん。間違えてすみません。彼女はらいてうが戦争協力や優生思想を自己批判しなかったのは「そのときのうちなる声に従ったものでそれでいいんじゃないの」と私の「元祖スピリチュアル」にこたえていった。また翻訳家の方は「らいてうのエドガー・アラン・ポーの翻訳はとても早い時期。誤訳は多いけど、知りたいという気持ちに突き動かされたそれこそ冒険」という話も勉強になった。

旧望月百合子さんの住まいがこのようにきれいに改修され、女性の学びの場になっているのはすばらしい。岡田孝子さん初めスタッフの皆さんの献身を思う。

11月29日 スタジアムツアー

2013年12月25日 水曜日

朝から千駄ヶ谷で。国立競技場を見学。中にも入れる。天気良く、新宿高層ビル、丹沢や富士山がくっきり見える。写真に撮ったらそんなにはっきり見えなかった。天気さえよければ屋根などない方がサッカー観戦も楽しい。一緒に来た人が「ここはアクセスが抜群。ワールドカップで作った埼玉アリーナなんて遠いから。仕事終わって、里芋畑あるいてスタジアムまでいくと前半終わっていたりする」とのこと。東京オリンピックは懐かしそうな、団塊以上の方々たくさん見にくる。スタジアムツアーの方も欠員あったので私はそちらも見せてもらう。「3・11の前に耐震改修したばかり」という。それなのに壊すのか? 嵐ファン、サッカーファンの人たちが見に来ていた。神宮外苑は東京都の風致地区第一合であるのは確か、しかし東京都体育館のあたりは15メートル制限だったがスタジアムのへんは20メートル、それをデザインコンクールのあとは都の都市計画審議会はこれをさしたる論議もなく75メートルに変更、しかも容積率を大幅緩和した土地もあり、そこに日本青年館とJSCビルが合築されるらしい。

「スポーツのメッカを形成」とは「スポーツを口実にした再開発をする」ということらしい。

11月28日 一日お台場

2013年12月25日 水曜日

さる賞の選考委員会。本日河野太郎自民党無駄撲滅チームが、JSCをよんで国立競技場計画についてヒヤリング。結構な突っ込み。しかしこれがいい結果になるか?

11月27日 せっかくの仙台なのに

2013年12月25日 水曜日

三陸河北新報の写真コンクールのため日帰りで仙台。3時前に終わり、申し訳ないが5時からの懇親会をパス。一日にこんなにたくさん携帯に電話がかかる日はない。

11月26日 今日も国立競技場漬け

2013年12月25日 水曜日

息子が、ラジオでもと国立競技場の場長大和一光さんが、聖火台の職人秘話や嵐のコンサートのことを話しているのを教えてくれ、早速聞く。今の国立は年間維持費は5億で、そのうち2億を嵐のコンサートで稼いでいるそうな。大和さんは「ホスピタリティや天井の低さ、メディアセンターがない、老朽化」を新築せざるを得ない理由に挙げていた。それでも国立競技場への限りない愛にあふれた話だった。息子によると「ゆず」というデュオが「栄光への架け橋」という曲のプロモーションビデオを国立競技場で撮影しているそうだ。

湯島の国立建築資料館での坂倉準三展のオープニングにいく。安藤忠雄さん、鈴木博之さんと国立競技場のことを立ち話。鈴木さんは「オリンピックをするなら競技場はいる、今回のデザインコンクールが不成立だというのならオリンピックを粉砕しないと首尾一貫しない」といわれた。でもオリンピックをどこでやるかなんて私たちが考えることではないのではないか?

私たちは神宮の風景と緑をこれ以上失うのはいやだ。

11月25日 一日国立競技場

2013年12月25日 水曜日

朝方夢を見た。秋の日差しの中、紅葉の大きな公園を若い天皇がベストを着て白いズボンでお掃除している。他の人たちも一生懸命お掃除。ベンチには美智子皇后が他の女の人と座って談笑している。「お墓も縮小したから、オリンピックも手作りで小さくやることにしました」

そうしたら東京オリンピックの時のファンファーレが鳴って、並木道を外国選手団が行進してきます。あ、ここ外苑の並木なんだ、と思って目が覚めた。朝から、内閣府、文科省、JSC、都庁、都庁記者クラブで会見、夕方は神宮前の建築家会館で公開座談会、そのあとイタリアンレストランで打ち上げ、というとんでもないハードスケジュール。槇さんたちの10・11のシンポとは違う論議ができたのは嬉しい。どのスピーチも面白かったし、デザインコンクールに参加した渡辺さんの話、古川さんや森山さんの改修案、どれもよかった。

11月24日 いわきのニュータウン

2013年12月25日 水曜日

一日、福島県いわき市のニュータウンを訪ねる。ものすごい分断とねたみ、それを乗り越えようとしている人々に出会う。原発被災者には一人当たり月10万の精神的補償が出るが、津波被災者は同じように家と仕事を失ったが、一銭もでない。たしかにどこかおかしいが、天災の被災者に補償を国が出すとなるとすべての台風や火山の爆発や竜巻の被害者にもそのたびにお金を出さなければいけなくなる。いけないのは事故を起こした東京電力と原発を国策とした日本政府なのに。

11月23日 20年ぶりに結婚式参列

2013年12月25日 水曜日

きょうは山崎の次男、旬くんの結婚式。ちゃんとした立派な結婚式である。山崎が黒いすそ模様を着てすましている。牧ちゃんも振り袖できれい。お食事もおいしい。しかしワインを飲んだらてきめん酔っぱらいました。

11月22日 帰京

2013年12月25日 水曜日

午前中、大浜さんのお話を聞き、午後3時の便で東京へ帰る。家の掃除。この9日間すごい量のメールが飛び交っており浦島太郎のような気分。

11月21日 島中お祭り

2013年12月25日 水曜日

祭り二日目。今日は中筋の芸能の奉納。無事終わり、夕飯も食べたかどうか忘れた。島中お祭りで、お店は休み。国立競技場のことがきになるが、メールチェックできる場所もなかなかない。これで東京にいたら仕事など手が着かないと思う。