2013年5月 のアーカイブ

4月3日

2013年5月8日 水曜日

体の不調から漢方薬局にいく。塩漬けのビーフジャーキーが水のまにまにただよっているというのがいまのわたしの状態だそうな。まず気をめぐらせ、水の滞りを直さなくてはならない。池谷薫監督の「先祖になる」が香港国際映画祭で賞を取ったとか。当然。

4月2日

2013年5月8日 水曜日

清明時節雨紛々、足立さんとこれからの出版に関して打ち合せ。

4月1日

2013年5月8日 水曜日

夕刻ドバイより帰る。行きの飛行機以来、風邪と喉の痛みで調子悪く、花見の宴を欠席。
今年の花は早く、成田に行く途中に既に咲いていたが、寒さのため帰って来たときもまだ花は残っていた。

3月31日

2013年5月8日 水曜日

超高層がたち、手厚い国民への補助もある近代都市に疲れて、オマーンの飛び地に行ってみようということになった。国境でビザがとれる。まったく違う国だった。右手は白い石灰岩の岩山、左手は真っ青な海。
ベドウィンの石造りの家もちらほら見えて、オアシスもある。これが想像していたアラブだ。町でエビやイカの炭火焼を食べる。この先の海は石油を運ぶルートであり、よく海賊がでるホルムズ海峡である。そのさきに同じイスラム圏とはいえ、石油もでないし、戦争だったり、治安が悪いイランやイラクがある。それを思うと茫然とした。夜、砂漠の中のリゾートでタイ料理を食べる。不思議な経験であった。夜中の便でドバイ出発、4月1日の夕方に帰国。

3月30日

2013年5月8日 水曜日

町を歩く。シャルジャの歴史的街区、スーク(市場)、古いものをすべて壊して、いまはヘリテージとかいってフェイクの古い要塞やスークをつくっている。買い物するセントラルバザールは中はガレリアみたいになって小さな商店がいっぱい。でもこんなに客がいなくてやって行けるのか。市場にフレッシュ・キャメルと書いてあった。
カシミヤのショ-ルが激安の店。10ディルハムくらいで買える。クオリティの高いものは30とか60とかする。ペルシャ絨毯のみせ。宝石商。アンティークや。武具とかナイフとか危なそうなものばかり。

3月29日

2013年5月8日 水曜日

2時ごろに車で町に出る。たてものはこれというものなしすべて大味。
電線も地中化しているし、電気は水力で起こしているという。女性を見ない。車は1000万くらいするもの。自転車も見ない。男は白い長い服で棟からネクタイのようにひもを垂らしている。スタンドカラーやワイシャツをそのままのばしたような長い上着もある。トイレでどうして用を足すのだろう。黒い太い眉毛黒い大きな目、黒いひげでなかなかみんなハンサム。女はほとんど見ない。目だけだしたブルカの人、目も出さずに黒いベールをかぶった人、鎧のような金色の金属を顔にはめて布をかぶった女性がいる。現地人は肉体労働をせず、インド人、バングラディッシュ人、フィリピン人がつかわれているそうな。
真珠の養殖場を見学,夜はラスアルハイムホテルの日本食レストラン・アコヤへ。アコヤガイの貝柱のかき揚げなどめずらしい。海外で日本食を食べてこれほどおいしいのはあまり知らない。

3月28日

2013年5月8日 水曜日

朝はマーケットで鞄や布を買って、コーヒーを買ったらもう時間、それからエンテベ動物園に行ったが1人3万も取られ、野生動物を見た目にはつまらなかった。
空港でものすごい量の荷物を載せようとして交渉しているインド人おばちゃんを見る。普通の3、4倍はある荷物をすべて通常料金で載せよというのだ。ウガンダ人もびっくり。残りの10000シリングでサモサを食べるとお金は終わり。
ドバイまで、5時間、幸い通路側で隣が空いている席を見つけて楽をした。
夜、ラスアルハイムのホテルでぐっすり。

3月27日

2013年5月8日 水曜日

首都カンパラに戻る。茅葺きのカスピの王墓を訪ねる。なかなかハンサムなお兄ちゃんが僕が案内するというので、インドなどでよくあるガイドであとで高くお金を請求する輩かとおもったら本当の王族でこの墓を守っているという。
ここは歴代のブガンダ王国の王様の墓で1968年ころにできた。王国の名はブガンダ、国の名前はウガンダ、言葉はルガンダ、人々はユガンダ、とかいう。
王様は2万1000人の側室を持ち、175人の子どもがいた。たいへんそう。部族を統合するためにも全部の部族の女を側室にしなくてはいけなかった。
中でおこもりをする。地下に王のはか。覆いが茅葺き、スカートの裾をめくって入るような感じ。ユネスコが危機遺産に指定し、日本政府が修復資金を出して二人の専門家が来ているが、なかなかはかどらない。日塔さんと長谷川さん、なかなか行動の自由はないらしい。もう一つのワマナのお墓をレッスン代わりに葺いていたが、半日かかってちょんぼり。夜はシャングリラホテルの中の中華料理で食事。うどんのようなタンメンとサンラータンスープ。ぐっすり寝る。

3月26日

2013年5月8日 水曜日

朝、北上してベッカーズフォートを見る。1972年、ここで行われていたアラブ人による奴隷売買をやめさせた宣教師ベーカーの基地。弱ってアメリカやイギリスに売り飛ばせそうもない黒人はここで斬首された。そのあとがたくさん石に残っていた。象牙や奴隷貿易で食っていたアラブ人に対する印象、すこし悪くなる。ナイルの舩のクルーズに参加。欧米人はこわがらずにこの辺にもきている。私たちの舩は故障。欧米人たち「オー、スモール・タイタニック!」「陸地に上がったらサイが来るよ」「カバの背中にのって帰るわ」とまったく動じずジョークばかり。滝を観て来た帰りの大きな舟が救助してくれる。「このボートの皆様はまだ滝をご覧になっていません。遅れますが、もういちど滝にいっていいでしょうか」というとおおきな舩の客はみんな「もっちろん!」「二度見られるのね」とおさわぎ。席も機嫌良くゆずってくれた。サファリの中の豪華ホテルに泊まる。目の前にナイル、パピルス、白いとり、プール、大きな木、すばらしい。

3月25日

2013年5月8日 水曜日

村を見学。丸い日干しレンガを積んだ上に木を円錐形に組み、尖った葉っぱを干して載せる。この簡単な家にみんな住んでいる。電気のきている家は少ない。
食べ物は胡麻とピーナツのすりつぶしたつゆで塩蔵肉をにる。あるいはやや酸っぱい赤い汁で山羊をにる。トウモロコシの蒸しパン。町の発展を考えるセクションの行政マンが案内してくれ、そのままサファリに連れて行く。入場料一人35ドル。外国人にはひどく高い。走っている麒麟を初めて見た。メニイメニイというがあながち嘘ではない。像、ゴリラ、カバ、サイ、鹿、飛んでゆく。カワセミやワシのるい。調子悪く、ボマ・ホテルにてよく眠る。