2010年9月 のアーカイブ

7月20日

2010年9月28日 火曜日

仙台で法然に関するシンポジウム。「ガイアーー地球協奏曲」を作る龍村仁さんに久しぶりに会う。出番までひまなので繁華街で買物。終わって丸森へ。つい相撲の話へ。「興行ッて奴は昔から芝居も音楽も映画も地回りと縁が切れないし、相撲だって暴力団とては絶対に切れない」という人あり。田舎の山の中にもその筋のものはおり、公共の宿などで会合を開くと市長や町長はお祝いに駆けつけたりするとか。「ああゆう連中は最初はやさしくて持ち上げてくれて、わるいことに誘い込んで、賭博なんかでもはじめは勝たしてくれ、だんだん負けが混んでくると脅しあげて、借金返せと言い、ついには自殺に追い込んでしまう」と言う人。相撲協会はいま、スケープゴートになっているが、政治家から芸能界から日本の社会すべてがながらく同じ体質だった。「警察は山口組などとの全面戦争に入っているのでまず、相撲にターゲットを絞ったのだろう」という人もいる。
タレントなどがことさら脱税であげられるのも、有名人を懲らしめることで一般の人を震え上がらせる効果もあるのだろう。

7月17日

2010年9月28日 火曜日

きのう、ぶら下がりという記者たちに捕まって行ったコメントがひどく歪曲されて新聞に出ている。選挙のあとなど市民代表みたいな感想コメントを求められることが多いが、いつも記者の思惑通りに改ざんされるので、こういうことには応えず、「意見は自分の場で書きますから」ということに徹底する。興味本位でなく、本当の改革に寄与したいという真摯な記者とは協力したいが。
東京大学で桜井均さんの話があるので行く。小倉さんというディレクターのしごと、水俣の貴重な映像をみる。帰り、今野勉さんと桜井さんと構内でビールを飲むが、風涼しく気持ちいいが蚊に刺された。

7月16.17日

2010年9月28日 火曜日

振り替えた午後1時の便で帰宅。東京会館で第一回委員会。11人の委員揃う。憂鬱。まだ五里霧中。これから勉強すべきことは多い。資料よむのがこの目ではつらいし。われわれの任命者は協会。委員手当は協会からもらうがあくまで国民全体の利益のために。といっても官庁の委員手当くらいの薄謝である。
四分の三を外部理事にして、いま13人いる理事の数を減らす。それでわれわれのしごとは終わりだという委員もある。しかし親方はみな評議員だし、理事になることを目標にがんばっている。しかも親方たちは協会から給料や育成費をもらっている。利益代表である。そう簡単に理事や評議員の肩書きを手放すはずはない。しかも一門、部屋ごとのながい歴史といわくもある。改革するのは大変である。
終了後、別室で記者会見あり。ライトやフラッシュは使われなかったが、照明そのものがまぶしかった。サングラスをここでかけたら悪い印象だろうな。できるだけハジに座り、質問が来ないよう下を向いている。でも終わったあともはじめてぶら下がり取材なるものを受けた。
夜、相撲界の編集長阿部七重さんとあう。前からの知り合いで、妹分みたいなひとだ。残念ながら今号で終巻だそうな。そのことにもこの間の不祥事による相撲人気の低下が現れている。焼き肉を食べながら相撲界のあれこれを教えてもらう。しかし彼女も相撲の雑誌を作りはじめてまだ一年。
それでも角界の実情をきく。新弟子になる人がいなくてレベルが下がっているらしい。礼儀や作法の点で大学出と外国人が相撲のネックだという意見もあるらしい。朝稽古をしたあと、午後は閑なので、つい部屋で賭け事などしてしまうのではないか。部屋の師匠もいろいろだし、違法賭博をしたのはごく一部なので相撲界全体を色眼鏡で見るのはどうか、という。

7月15日

2010年9月28日 火曜日

聞き書きワークショップ続き。みんな慣れてきて質問も上手、この日夜は隣町の由緒有る旅館を改造した料亭にて食事。
夜、相撲協会の事務の方に、そういえば私は自己免疫疾患原田病で失明しそうになっており、白内障気味なので、マスコミにフラッシュやライトはあてないようにしていただけますか、と申し入れた。もうないかと思ったら佐野山親方の賭博疑惑など、またいろいろでてきて困っているらしい。

7月14日

2010年9月28日 火曜日

鳥取大学で教室授業。そのあと教官との懇談会、それから鹿野町に行ってそばを食べ、午後は昔からの方からの聞き書きワークショップ。夜は国民宿舎で一人夕食、ほっとする。

7月13日

2010年9月28日 火曜日

鳥取に行く。小林さんより事前に電話。「モリさん16日に独立委の初会合があるのに、鳥取にいていいんですか?」え、そんなこと何の連絡もないよ。「新聞に出てますよ」。この日、岩井窯で素晴らしい食事をして岩井温泉に泊まる。素泊まりだがなかなかの宿だった。窓からの風景がレトロでなんとも心が休まる。

7月12日

2010年9月28日 火曜日

ちくま書房金井さんから電話。金井さんも横審に入ったと思っていた。

7月11日

2010年9月28日 火曜日

丸森の佐藤タリエさんから電話。「横綱審議会にはいったんだって?」ちがうってば、協会を再生させるための統治能力のためのガバナンス委員会です。これから何度この誤解を解いたであろう。

7月10.11日

2010年9月28日 火曜日

参院選の日。池袋で講演。相撲の独立委員会に就任された森まゆみさんですと紹介される。読売新聞にワタミの会長と写真入りで出ている。ノンフィクション作家だって。違和感のある肩書きだ。「女性ではただ一人、市民運動にも詳しい」とあった。誕生日に新聞辞令。まだ正式に相撲協会から連絡があるわけではない。

7月9日

2010年9月28日 火曜日

初めて北里の東洋医学研究所に行って、津田篤太郎先生の診察を受け漢方薬をもらい、鍼治療をしてもらった。気持ちいい。
この日朝。相撲協会のガバナンスに関する委員会の委員になってほしいとのこと。徹夜に近かったため、寝耳に水だった。「誰の推薦ですか?私は相撲に詳しくないし、そういうのは内館牧子さんとかに」というがいやいや、ぜひ森さんに、という。「すぐお答えはできません2、3日考えさせてほしい」というといったん電話は切れたがまた来た。
「どうしても女性を入れたい、執筆の邪魔になるようなことはいっさいしません。先に入っている仕事は優先していいんです」。期間はどれくらいですか?「一年、お願いします」。委員会の頻度は?「月に二回の予定です」とのこと。考えたあげく引受けてしまった。