2009年12月 のアーカイブ

12月18日

2009年12月18日 金曜日

今日は忙しい。午前中に朝日新聞出版で今度出る「海に沿うて歩く」の装丁や
口絵の打ち合わせ。中島岳志さんが引き合わせてくれた矢作多聞さんに頼んで
楽しみ。
午後にメガネ屋さんに行って、金沢への切符を並んで買って、NHKの番組審議会に
出たら、そのあと寒気がしだし神田月岑会の忘年会には行けず。うちで小一時間
寝たら体調が回復したので、小学校のクラスの忘年会にはどうにかタクシーで行った。

また太ったんじゃない、が挨拶がわりなのがかなしい。みんな五十代仲ば、子育てが
終わったと思ったらもう、介護がはじまる。でも今日はそういうくらい話はせず、ひたすら
誰それの初恋の人は、的な話で盛り上がり、もんじゃ焼きでよく食べよく飲んだ。
二次会はその二階のカラオケに行き、青春歌謡を歌いまくり。みんなの連絡先を探し、
根気よくメールを出してくれるヒラオカ君がいなければこんな楽しい時間はないのだ。
ありがとう。ヒラオカ君はのっぽで半ズボンで暗算の天才だったが、いまは会計士。
やっぱりなあ。ダイエットに成功してすらりとした姿でギターを弾 いていた。それにしても
みんな変わんないね。この項、ジュッセルドルフのクラスメート塚本文子さんのために書きました。おーい、元気かあ。

12月17日

2009年12月17日 木曜日

今日も一日うちで仕事して、夜は上野の台東協同法律事務所の忘年会。下町で
人権を守って戦うみなさんの集まりだ。旧国鉄労組、下町九条の会、中小企業
や下町人間の会、青年ユニオン。聖ヨハネ教会の牧師さんは毎週、ホームレス
の人たちへの炊き出しをやっているというし、九条の会の方達は修学旅行の生
徒たちに上野浅草谷中の戦跡案内をしている。戦うことがプライドの根拠だ。
ここの弁護士さんたちはもちろん離婚や遺産や地境の紛争や営業補償やそうい
う普通の生活の中に発生するもめ事を解決するが、いっぽうで孤独な弱い立場
の人びとを守る仕事を手弁当でしている。みんなの挨拶に感動してうるうるし
ていたらなんとそこに冤罪で再審となったばかりの布川事件の桜井昌司さんが
みえた。その挨拶を聞いて失礼な話かもしれないが降りかかった災難が人を強
く、深く、磨くんだなあ、と思った。

12月16日

2009年12月16日 水曜日

夜、いちねんご無沙汰の担当編集者と忘年会。新宿歌舞伎町の羊肉のしゃぶ
しゃぶを食べにいく。これ,彼の趣味。激辛。歌舞伎町を歩くのは何年ぶりだ
ろう。新宿三丁目に小さなバーを見つけた。とても安く居心地がいい。英国留
学経験の有る編集者とマスターは妙に盛り上がっていた。しかもマスターはう
ちの近くの駒込高校の卒業生で仲良くなる。

12月15日

2009年12月15日 火曜日

谷根千、引っ越し。このところあとの三人は事務所の後片付けとパッキングを
やり続け、私は自分の机周りをやっただけなので冷たい視線。しかも体調がい
まいちで、重い本のはいったダンボールを運んだりはできない。今度移る所で
待機してどのダンボールをどこに置くかを決め、どんどん荷物をほどき、本棚
に並べるほうを担当させてもらったが、それでも暖房はまだないし、腰も手足
も使って疲れ果てた。
平日なのに、10人もの人が手伝いにきてくれて、案外速く、またすいれん舎の
高橋さんの友だちの運送屋さんがものすごく安くやってくれた。この方に頼むのは
4回目。千駄木の仕事場をつくったとき、そこを引き払ったとき、大学の研究室の
撤退、丸森へのお引っ越し、いつも明るく、親切な方である。ほとんど何もなくなった
事務所でえんえん打ち上げ。ヤマサキが日本酒をあんなに飲んだのははじめて見た。

12月14日

2009年12月14日 月曜日

京都のフランソワと言う伝説的な喫茶店の経営者であった女性亡くなる。昭和
 9年創業、「土曜日」という反ファシズム統一戦線の雑誌を出していた。建物
は数年前に国の登録文化財となった。ここについて本を書くべく取材もしたの
だが、まだ何も進んでいない。
自分が本質的なしごとの前に、頼まれしごとや講演を引き受けたりすることに
ついて反省しきり。

地下鉄に乗る。7人がけなのにたいてい6人しかすわッて
居らず微妙にすき間が空いている。細い人ならいいが、私のお尻があそこに
入ると両側の人が迷惑するだろうなあ、と思ってがまん。モッとちゃんとつめて
すわれよ、とだんだんハラが立ってくる。最近、生き馬のメを抜く東京でも不況
のせいか、急ぐ人が少なくなった。駅のエスカレータは左側ばかり混んでいて、
みんなまったりたっている。右をのぼる人は少ない。いいことなのかな。

12月12日

2009年12月12日 土曜日

北区中央図書館開館一周年の会に呼ばれる。旧知のエルコの横山さん、
大川陸さんなども聞いて居られこまった。もと鉄砲の弾を作っていた戦
前の軍事施設をなんと図書館にリフォームと言う素晴らしい図書館。そ
こから都電に久しぶりに乗り、早稲田の農を考える自主ゼミに参加、終
わって学生たちと宴会。
結城登美雄さんはこのために毎月、自腹で仙台から来て居られるそうで
最終で帰られた。酔っぱらってそのあと付け麺まで食べてしまった。

12月11日

2009年12月11日 金曜日

早めの忘年会を上ださん武田さん鎌田さんと。漢方の大学病院を教えて
もらう。銀座もたまにはよろし。吉水という前から聞いていた銀座の宿
に行くと姫田忠義さんを囲んで玉鋼のフィルムが終わったばかりであった。
姫田さんと女将の吉水さんと話す。

12月10日

2009年12月10日 木曜日

きょうも一日ドキュメンタリー漬け。うれしいがつかれる。背中が痛い
し、早く帰ってねたい。

12月9日

2009年12月9日 水曜日

西麻布でドキュメンタリーの審査で一日4本見る。つかれた。帰りにむ
しょうにラーメンが食べたくなり、探すが表参道辺りには地価が高いた
めかなかなかない。青山麺房に行くも中国人のウェイトレス、ふてくさ
れて感じ悪し。外国人を使う店が増えているが、店員教育がなっていな
い店が多く、丸ビルの地下のベトナムメン屋の女店員もありがとうの
言葉一つない。質の悪い人材が日本に働きにきているのか、日本が彼ら
をチャンと遇しないのか。

12月8日

2009年12月8日 火曜日

七尾の正子さんから、いか、香箱がに、牡蠣が届き、母に届ける。届ける
だけだとさみしそうなので一緒に昼を食べるとあっという間に一時間経
つ。
父と仲のいい夫婦で、父は母に依存していたから、友人がいないのが心
配だった。が安田邸の受付嬢になってから瞬く間に友人増え、皆に大事
にされている。コミュニケーション能力の高い人だから。子や孫がたま
にくるのはいいけどやっぱり独りが楽でいいわとのこと。心配なし。