フィンランドからかえる。いない間にいろいろ頂き物をしたので、お礼と報告。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
8月23日
2013年9月14日 土曜日8月10-23日
2013年9月2日 月曜日8月9日
2013年9月2日 月曜日8月5日
2013年9月2日 月曜日妻子が故郷に帰ったという友人と飲む。次々呼び出して。
8月4日
2013年9月2日 月曜日一日家で仕事。あまりにやることが多く、やってもやってもなにかし残したことがあるような落ち着かなさ。大阪のホテル、小樽のホテルの予約、イスラムの原稿、送られてきたものの礼状、問い合わせの返事、原稿を見てほしいとの依頼、ゆかりの土地の番地からい間の場所を教えてくれという依頼、蔵の見学の打ち合わせ、行けないお詫び、会の清算。
8月3日
2013年9月2日 月曜日台湾の第四原発を命をかけて泊めようとしたドキュメンタリ「こんにちは貢寮」を「谷中の家」に見に行く。建築関係の編集者の西川さん、美術研究家のだんなさんの二人がご自分の家の一階を集まりに貸してくださり、月一原発映画祭を開催してきて地域の名所になった。
2、3日前に自分も会をしたところだから、来て見る方はらくちんだが、主宰する方達のご苦労に改めて感謝。フィルムを借りるのにもお金がかかり、今回申し込みが少ないと聞いて心配していたが、東京新聞に大きく載って満員だった。
女性の映像作家が丁寧に作っている。独裁政権下の台湾で突然自分の地域に原発計画が発表され、驚く人々。必死の反核運動、その中で警官を殺した容疑で捕まった青年(えん罪)、座り込みの最中に焼身自殺をしようとする住民、心痛のあまりつぎつぎなくなるお年寄り、美しい景色を返せ、海辺を返せ、平和な村を返せ。住民の願いは全うなのに、国会では圧倒的多数で原発建設は支持される。
日本の自民党のような国民党の長期政権のもと、住民の願いは国の政策に届かない。日本にそっくり、例えば口当たりよく子育て環境の充実を訴える丸川珠代は原発再稼働賛成の一票をとうじるし、憲法改「正」賛成の一票をとうじるはず。
だまされる有権者も馬鹿、選挙制度もインチキ。町には清潔で毅然と生きている人が多いのに、麻生副総理をみてもどの国も上へ行くほど低レベルで腐っている。
台湾も同様だ。えん罪で捕まった青年が11年ののち、ふるさとに外出を許される。このときの挨拶に、この青年のこころのきれいさが表れる。運動の犠牲になって、と謝る住民たちに「皆さんの方が大変、私は獄中で考える時間が持てた」と静かにいう。うろ覚えだけど。原発立地に遺跡が出て、これを原発差し止めの切り札にしようともがく住民、私たちの八ッ場ダム予定地でも遺跡をフィールドミュージアムに、と呼びかけている。のう調停を作ったらさかながいなくなったと嘆く住民。台湾に行って彼らと握手をしてきたいという気分になった。
この日、荒畑寒村研究者だった堀切利高さんのお家で本や資料を見せていただいた。既に何人かの研究者がしかるべきところへもっていった後だったが、荷風や三田村鳶魚、久保田万太郎などの著作を譲っていただくことに。お酒をおいしそうに飲んで、たくさんのことを教えてくれた浅草育ちの堀切さんを偲びながら市川の花火を見た。花火って壮大な無駄ではあるがあれだけの幸福感を与えてくれる。
ややありて再び闇に戻りたる花火のような恋とおもひぬ
今の都会の空は闇に戻らないけど。
8月2日
2013年8月20日 火曜日今日も一日テープ起こし。お昼に蔵に行ったので帰り、泰平軒による。前にここの中華を谷根千でほめたら、「それを見ていったが、なんてことのない店だった」という感想をツイッターした人がいる。そういう人は縁がない。
ここに入ったとたん気持ちが昭和になる。たたき、壁の木目合板、手洗い場のタイル、バラ色のデコラのテーブル、ビニールばりのいす、古ーいクーラー、全部昭和。壁にはもう茶褐色になったメニューが張ってあるが、こんなに時間がたったのに、20年前くらいの値段でどうにかやっている。すごく気持ちいい店主の兄弟の笑顔。どうも、ありがとうございましたの独特なイントネーション。置いてある朝日新聞、きょうはラーメンと半チャーハン、700円。このラーメン、麺固めで、濃いめの醤油味で、シナチクに鳴門、子供の頃、昭和に食べた百亀のラーメンの味に近い。
出前している姿をよく見るが万が一、この店がなくなったら近所のお年寄りたちはどんなに困るだろう。どうしても残ってほしい店。名前が泰平というのも気持ちが落ち着く、前に瑞泰寺に住んでいたときよくお世話になり、こどもたちに出前を取って私は外出した。ありがとう、泰平軒。食べログなんかで料理の写真を撮り、あちこち一回だけおいしいところで食べたい連中とは無縁でよい。
それにしても食べログのコメント「お店に伺いました」「お邪魔しました」というのは客が使う言葉ではない。学生の作文で「スプーンを落としたらお店の方が新しいのをもってきてくださいました」とあって「客が従業員にこんな敬語をつかうことはない」といったら、「私もレストランでバイトをしているので」との答え。常に相互互換性があるというわけか。これはらいてうの「送るよう命じました」の上から目線よりは好感もてるが。いや、最近の若い人の過剰敬語は「いっときゃ間違いない」というわけらしく、本当のリスペクトから出たものとも思えないけど。
8月1日
2013年8月20日 火曜日麻生副総理が憲法改正をワイマール憲法をなし崩しにしたナチスの手口に学べ、といったそうな。何たる下品な政治家。
いちにち岡田文淑さんのお話のテープ起こし。内子の石畳に暮らしている人たちの程よく品のいい丁寧な暮らしを思い浮かべる。
7月31日
2013年8月20日 火曜日久しぶりに自分で主宰する会をやる。これはつかれるし興奮するし、実に勉強になる。午前中は仕事して2時に蔵に行き小使いの川本真理さんと準備。予約制にしなかったので、少なくてもがっかりだし、多すぎると狭くて申し訳ない。
目的は蓄積の地域還元、蔵の保存費用捻出、在庫のある号の活用、映像の提供。
25人とちょうどいい数の人がきてくれた。懇親会も11時すぎまで続き、へとへと。反省点はいろいろある。
1、扇風機の首を振らなかったので寒い席が出来た。照明はまぶし過ぎ。
2、ソフトドリンクを原価で売っては収益にならない。アルコールも安すぎ。
3、蔵カンパと雑誌代、のみものなどの売り上げを区別する。
4、撤収が遅すぎ。手伝ってもらうより一人でやった方が早い。
5、若い人々にどうしたらきてもらえるか。などなど。
7月30日
2013年8月20日 火曜日あたらしい反原発ホームページに原稿を書いてほしいとの依頼にお返事。
「このところ、反原発運動にもかなり問題があると思っています。
特に大学の先生たちの説教癖、運動家の、俺たちはずっと反対してきたという優越感などにはうんざりします。例の会でも元大学の先生のお話は長かったですね。大学で週何コマも教えていると退職してもおせーてやる状態がストップできないのかな。聞き上手になりたいもの。自戒しなければと思います」
世田谷文学館で幸田文について堀江敏幸さんと対談。「幸田文は電子レンジが発明されたとき、手の仕事がなくなる、というようなことを書いていました。真っ当な感覚が嬉しいです」、というと堀江さんは「電子レンジは動かないですからね。文さんは動物とかクレーンとか動くものが好きですよね」とこたえ、なるほど。