劇団銅鑼の拙作「女三人のシベリア鉄道」通し稽古を見に行く。鈴木瑞穂さんが私の本をたくさん読んでいてくださっているのをしり、感激。夜、グアテマラ旅行につきワシントンと国際電話、三人で話す。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
3月4日
2014年7月7日 月曜日3月2日
2014年7月7日 月曜日村上薫さんより「隣のイスラーム」原稿の間違いを指摘していただく。「ハンニバルが越えた坂」は「メフメット二世が艦隊とともに越えた坂」だとのこと。
「当時まだイスタンブールがビザンチン帝国の首都のコンスタンティノープルだった時代。コンスタンティノープルに海から迫るオスマン帝国の艦隊にたいし、ビザンチン側は金閣湾の入り口を鉄鎖で封鎖し、侵入を阻止します。そこで、メフメット二世は、艦隊72隻で山越えという奇策に。木製ガレー船を牛にひかせてボスポラス海峡側から陸揚げし、現在のイスティクラール通りのあたりまで引き上げ、そこから例の坂であるクンバラジュ坂を下って金角湾に侵入、これに仰天したビザンチン側は戦意喪失し、コンスタンティノープル陥落につながった」そうな。すごく壮大な話。
2月28日
2014年7月7日 月曜日「腰が痛い」と書いたら山崎から「腰かわいそうだ」とメール。しかしノコギリ屋根展のオープニングに部材をただでおいてくださっている渋沢倉庫のかたも見えるので、二次会会場に先に行っておもてなしよろしくと、続けて書いてある。根津のいわさき眼鏡で赤いフチの眼鏡をつくる。
2月27日
2014年7月7日 月曜日神戸の武谷なおみさんから「イタリアのマスコミは、オリンピックのニュースもスポーツ欄で小さく結果を伝えるだけ。
人情話にしたてる報道はなく、「国民のみなさま、応援よろしくお願いします」という判で押したような選手の言葉もなく、健康的でした」とのこと。あらまほしき姿。
夜、高校時代の友と電話でおしゃべり。
2月26日
2014年7月7日 月曜日釜石の鉄の歴史館でお会いしたかっこいい館長佐々木諭(さとる)さんは大瀧詠一とバンドを組んでいた仲間だったとか。「女のきっぷ」の元原稿をつくる、すべて「ですます」調になおす。
2月25日
2014年4月10日 木曜日余談一つ。64年オリンピックのさい、男爵原田熊雄の息子敬策の夫人、原田知津子という人が都知事東龍太郎にたのまれ、英語の出来る良家の子女を集めて40人のコンパニオンを教育し、束ねた。ほかに山県有朋の孫とか,磯村尚徳の夫人も協力、長嶋茂雄はコンパニオンの一人、西村亜希子と結婚する(西村亜希子の祖父は平塚らいてうと恋仲だった西村陽吉)。この原田さんは外国の有名選手にサインをねだったコンパニオンを往復ビンタしたのだと。GHQが来るとき、良家の子女を守るため、有楽町の街娼を集めて「性の防波堤」を作った話は有名ですが、これはセレブ版の「おもてなし」。原田夫人は90すぎて元気で最近,本を出したとか。『希望のオリンピック』幻冬舎。
2月23日
2014年4月10日 木曜日腰痛をおして八ッ場あしたの会の「東京オリンピックと八ッ場ダム」にいく。縮小社会の松久先生の話は何度聞いても目鱗。
人口が生産力を上回ると、必ず戦いが起こり、おたがい食い合い、殺しあう。イースター島はそれで滅びた。
ティコピア島は間引き、避妊、を認め、豚を飼うことと(穀物を食う)、焼き畑農業を禁止して、どうにか人口減を逃れた。日本もこんなことをやっていると早晩、資源の取り合い、食料にさえ苦しむ時代に入る。それを回避するには縮小しかないだろう。
2月22日
2014年4月10日 木曜日腰痛ひどく、駒込名主屋敷の調査、および夜のマダム酒井のご馳走をあきらめる。何もやる気がしない。
2月20日
2014年4月10日 木曜日すでに第4回の勉強会に向けて走り出す。防災、ヒートアイランド、環境アセス、音楽イベントの専門家の話が聞きたいとの声つよし。これがまた音楽村もあって戸倉俊一さんや秋元康さんにはむかうのは難しいらしい。
音楽と言えば、私の書いたエッセイに曲を付けてコンサートで歌うので聞きにきてほしいという。勝手にこんなことしてよいのだろうか? ちょっと気持ち悪い。
2月19日
2014年4月10日 木曜日岩波のブックレット「異議あり、新国立競技場」佳境。各執筆者の原稿揃い、編集に入る。たしかに市民が命がけで戦うのはむずかしい。ジャーナリストと議員にがんばってもらうしかない。
昨日、基本設計をみんないやがって中々進まないとの聞いた。
今川憲英さんいわく、世界都市博だって全部、臨海部で計画は出来ていたのに知事が変わったから止まったし、だれも文句いわなかったと。夜、安富歩、平智之さんと、IWJで新国立競技場について話す。回転のいい二人につられてつい饒舌になりがち。
安富さんが私の「もう一度ここで」という津波から立ち上がる人々の歌詞を作ってくれた。