村上薫さんより「隣のイスラーム」原稿の間違いを指摘していただく。「ハンニバルが越えた坂」は「メフメット二世が艦隊とともに越えた坂」だとのこと。
「当時まだイスタンブールがビザンチン帝国の首都のコンスタンティノープルだった時代。コンスタンティノープルに海から迫るオスマン帝国の艦隊にたいし、ビザンチン側は金閣湾の入り口を鉄鎖で封鎖し、侵入を阻止します。そこで、メフメット二世は、艦隊72隻で山越えという奇策に。木製ガレー船を牛にひかせてボスポラス海峡側から陸揚げし、現在のイスティクラール通りのあたりまで引き上げ、そこから例の坂であるクンバラジュ坂を下って金角湾に侵入、これに仰天したビザンチン側は戦意喪失し、コンスタンティノープル陥落につながった」そうな。すごく壮大な話。
村上薫さんより「隣のイスラーム」原稿の間違いを指摘していただく。「ハンニバルが越えた坂」は「メフメット二世が艦隊とともに越えた坂」だとのこと。
「当時まだイスタンブールがビザンチン帝国の首都のコンスタンティノープルだった時代。コンスタンティノープルに海から迫るオスマン帝国の艦隊にたいし、ビザンチン側は金閣湾の入り口を鉄鎖で封鎖し、侵入を阻止します。そこで、メフメット二世は、艦隊72隻で山越えという奇策に。木製ガレー船を牛にひかせてボスポラス海峡側から陸揚げし、現在のイスティクラール通りのあたりまで引き上げ、そこから例の坂であるクンバラジュ坂を下って金角湾に侵入、これに仰天したビザンチン側は戦意喪失し、コンスタンティノープル陥落につながった」そうな。すごく壮大な話。