松山行き。子規と漱石のあとを訪ねた。『坂の上の 雲』と『龍馬伝』で観光キャンペーン中。
文化財建造物保存修復協会の手がけている内子の上 芳賀邸などの現場を見る。雪深し。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
1月12日−14日
2010年2月17日 水曜日1月10日
2010年2月17日 水曜日都は派遣村を延長しないと言う。交通費など2万円を渡したあと、200人が逃げちゃったので、都も裏切られた感じなのだろうが、持ち馴れない人に2万もいっぺんに渡す方が悪い。そのうえ、指導とか無断外泊禁止とか、上から目線の恩着せがましい管理主義のやり方では、もともと自由を愛する人々が耐えられるはずはない。フランス映画『ポン・ヌ フの恋人たち』を思い出す。橋にすむ人とは自由を愛する人なのだ。
1月9日
2010年2月17日 水曜日シベリア抑留された方達に給付金が出ることになっ た。軍人恩給などは出ているのだろうけれど。生存者は10万人をきったと言う。あまりに遅すぎる。今までシベリア抑留の方何人かに会った経験では、さすがに生き延びた人は体が強いんだなあ、ということを感じた。それにしても空襲で死んだ人の遺族にはなんにも補償がない。軍人の遺族には出るのに。それも死亡時の位階で差がついているのはおかしいと思う。
1月8日
2010年2月17日 水曜日こども手当、地方自治体で負担を拒否する所が多 い。母子家庭で一銭も補助なし、医療費だって補助なしで3人ずっと育ててきた私には、こども手当は なんだかばらまきみたいで釈然としない。せめて振込でなく、各家庭で出張所か郵便局までとりに行くようにすれば、もらっていることを意識するだろう し、余裕のある家庭はもらいにいかないだろう。虐待する親も手当をあてにして子供を手放さないとい う危険も指摘されている。子供のためにではなく飲酒やパチンコに使うかもしれないし。他の人の税金で子供を育てている、という自覚は少なくとも持ってもらいたいな。
東京新聞は他に比べてよくやっていると思う。今日もヤンバダムについてかなり詳しい記事を載せて いた。岩波茂雄の惜櫟荘を時代劇の人気作家佐伯泰英さんが購入保存するとか。熱海に吉田五十八が建てたものだ。よかったな、と思いつつ、岩波文化では残せない時代なことを痛感する。
1月7日
2010年2月17日 水曜日ガスレンジとフードを替えた。東京ガスに頼んだ、しめて31万円。一念発起してスポーツクラブに入る。
豊礼の宿
2010年2月17日 水曜日私の大好きな小国町にはすてきな温泉があります が、その中でも峐湯温泉の豊礼の宿は素泊まり3800円、部屋はベッドと和室とあって素っ気ないが広々、3時イン11時アウトでのんびりできます。 なんと言ってもすごいのがオパール色の広い露天風呂、ここは内風呂はなし。家族風呂と言って一回一 回お湯を入れ替える個室風呂があるだけです。そこ からのワイルドな風景と言ったら。遠くの山並みを
見つつ、崖の下から風が吹き上がってくる。
食事は無料で利用で着る蒸し器で鳥屋卵や野菜を蒸してビールもよし、歩いて一分のレストランふくろうでなんでも食べられます。
ただ小国でさかんなこの家族風呂というシステム、 どうせ湯はどんどん沸いて河に流しているだけなんだから、という人もいますが、温泉を一回ごとに捨 てるなんてもったいない、と東京人の私は思う。 ボーリングしてそれで金儲けをして、自然にしっぺ返しされる時がこないだろうか。小国の高橋さんは 東京などで宣伝をする時、会場をみまわして差し支えのありそうなときは「杖立て温泉とか、奴留湯温泉とか、岳湯とかーーー」と言うそうです。ハゲの湯なんて誰がつけたんでしょうね。
くぬぎの郷
2010年2月17日 水曜日九州、阿蘇山の麓はいい温泉が出るいいところ。ここにベッド&ブレックファスト5000円よりという素晴らしい眺望の宿がある。
阿蘇の外輪山のいわゆるお釈迦様の寝姿が見える。 築百年の古民家の部材をじょうずに活かしたこの宿では自炊、バーベキュー、鍋、なんでもでき、すぐ下の「こぶしの木」は地鶏の炭火焼が名物。小国町の友人高橋正之助さんに、ぜひ行ってみて、と言われて訪ねると実においしかった。1200円。
大企業に勤めていたご主人が「やりたい事をやるの は今しかない」と退職してつくった宿で、本人は楽しそうにステンドグラスを作っている。奥さんもと てもやさしい方で、もう一人居候さんがいて、「これから漬け物の仕込みです」とよく働く。不思議な共同生活だけどこんなのもいいな。食事に入っただ けなのに長逗留してしまった。
1月17日
2010年1月17日 日曜日朝から部屋の掃除。ユタカは出て行ったが、こんど藤沢からヒロシが戻ってくる。ユタカは高野山にいて日曜しか休みでないから、しかたなく捨てていい との全権委任を受け、片付けをはじめる。重いものをやる元気が今日はなく服。2月にタイの山奥の村に行くので、ほとんどそこで行うフリーマーケットに持っていく事にする。あげるのでは施しになるからうんと安く買ってもらうのだ。その収益は村に寄付する。どんな高級品を持っていても村で着ればすぐどろんこになる。日本では支援する場合もクリーニングに出してからなどと言っているが、古着をク リーニング代まで出してあげる人は少ない。タイの少数民族の人たちは何を持って行っても「いいものを持ってきてくれてありがとう」といってくれる。 そもそも工業製品の服を売っている市場まで車で4時間ほどのところに住んでいるのでシャツでもズボ ンでもうれしいのだ。まえにアフガニスタンに衣料を送るときは模様やワンポイントでも動物のマーク が入っていてはいけないとか、宗教上の細かい注意があって気を使った。それにしてもあとからあとからでてくる服の山。でも買った覚えがない。おばあちゃんがサトコにいいと思って買っておいた、とか、おじいちゃんの遺品だけどまだ着られるとか いって持ち込んできたもの。今うちでは家族中、父の遺品をきている。
夕方、映像ドキュメントの事務所でヤンバのフィルムを編集のお手伝い。広尾の谷井さんが見えたの で、急遽、初期のNHKでフリーのインタビュアーであったころのオーラルヒストリーを撮影。荒川さん桜井さんサトコが夕食を取ったのは十一時近かった。
1月6日
2010年1月6日 水曜日前から気になっていた小野寺百合子「バルト海のほとりで」を読む。
夫小野寺信はスエーデン駐在武官としてヨーロッパの情報戦と和平工
作を担当し、早く戦争を辞めるよう何十回も本国に打電したが、実ら
なかった。そのテレビドキュメントを見たから探していた本だが、そ
の妻にして、社交の傍ら暗号解読にも深く関わっていた、剛胆な女性
の記録。文章も理知的できっぱりしている。名前に見覚えがあったが
そうか、エレン・ケイやムーミンの訳者でもある。戦後はスエーデン
との文化交流に尽くされたとか。お茶の水の私の先輩だ。おじいさん
は一戸陸軍大将で、息子さん二人は外交官。娘さんは大鷹節子さん、
と知ってまたビックリ、別のことを思い出す。
十年ほど前にチェコ大使館のパーティに招かれた。後にも先にもこれ一回。
大使館というところを観に行こうと出かけた。それは私がチェコの女性、
ミレナ・イエセンスカのことをNHK「わが心の旅」で取り上げたから招かれた
のらしい。ところが広尾のチェコ大使館に行くと、「みなさまにご挨拶
申し上げるつもりでありました大使は今日、急な用事で本国へ戻りました」に
はじまり、ほかの外交官も「急な用事」でいなくて、歌うはずのソプラノ歌手も
「飛行機が遅れて到着しておりません」とかでやれやれだった。大使館て
そんなとこか、とあきれていたら、「かわりに元チェコ大使夫人による
スピーチがあります」とのことで、どうせ偉そうな社交夫人が気取った挨拶する
のだろう、と期待しないでいると、これが大変素晴らしい専門的な講演であった。
それは第一次世界大戦に参加したチェコ軍団がロシア革命勃発により、
シベリア経由で帰れなくなり、中国、日本経由で地球を一回りして帰った話で
あったと思う。その中にチェコの独立を果たし初代大統領となったマサリクもいた。
その遇し方が日本とアメリカでどんなに違ったか、というのである。
外交官夫人にもこんな学識のある方がいることを知り、偏見をあらためた。
夫君の大鷹正氏はオランダ大使もつとめ、弟の弘氏も外交官で、李香蘭こと
山口淑子の結婚相手。さらに兄弟の父大鷹正次郎は小野寺信のリトアニアでの
前者だと知ると歴史は俄然面白い。
1月5日
2010年1月5日 火曜日ヒロシが大学に戻る前に寿司がくいてえ、というので昼町を歩く。
5日なのに太郎寿司は休み、満津美寿司も休み、けぶかわも休み、
三浦寿司はなくなり、白山上にあったはずの寿司屋も一軒改築中、
二件は廃業であった。7軒に振られたことになる。どうなってんの。
つけ麺けいすけも相変わらずの行列。でトンカツよしむらに。30年以上
続いているが「この新道通り変わりましたねえ。マンションが増えても
お客が増えない。本駒込の駅ができてから人の流れがかわり、なかなか
ぐるっと回ってここまで来ません」とのこと。小父さんは福井の芦原温泉
生まれ、ちゃんとした材料を使ったちゃんとした店であった。
表通りでもまつや、さぼてんなどチェーン店は続いているが、ベトナムの麺や
も築地直送海鮮どんの店も開業したもののあっという間につぶれた。
全国的に開業した店の9割は一年持たないのだと言う。味だけでなく、人柄、
客あしらい、常連づくり、時には居酒屋など花見や温泉旅行のイベントまでして
客を確保しているようだ。大変だ。