‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

6月20日

2010年9月15日 水曜日

クラ研。アイルランド報告とフラハティの有名な『アラン島の人々』上映。すごいと思った映像だが、桜井さんによるやらせと編集によるマジックの解説にうなる。人と波を別別にとって合成したりしているそうな。クラ研は映像を楽しむだけの方には開かれていませんが、市民メディアと谷根千映像アーカイブを一緒に作っていこうと言う方には開かれた会です。とくに映像編集をボランティアでやってくださる方を求めています。

6月19日

2010年9月15日 水曜日

夜、根津つばめ屋にて『ダムとわたし』映画祭の打ち上げ。ああ、一生懸命やった山田絵美さんと川原理子に乾杯。イベントを成功させると若いひとは一段と大きくなる。

6月18日

2010年9月15日 水曜日

夜、映画館で青江三奈の英語のブルースと沖山秀子のサマータイムをきく。至福。この店も谷根千をやっていた頃は子どもが小さかったり、夜飲むことなど考えられず、ずっと谷根千をおいていただいて、いまやっと、通うことができるようになった。

6月17日

2010年9月15日 水曜日

中棚鉱泉で小諸藤村文学賞、選考会。中棚温泉は藤村ゆかりと言うより、その師で小諸義塾を開いた木村熊二のすんでいたところ。水明荘なるたてものは今も残り、国の登録文化財になっている。木村熊二は明治女学校の創立者だが、それは谷中初音町に開かれた下谷教会婦人部にさかのぼり、木村熊二、鐙子夫妻の墓は谷中墓地乙8にある。

6月16日

2010年9月15日 水曜日

一日早く行って、前から気になっていた高峰温泉に泊まる。最近飲泉に興味あり。

6月15日

2010年9月15日 水曜日

福沢綾子さんに久しぶりにお話を聞きにいく。夜、東京大学安田講堂にて映画『安保』の完成記念シンポジウム。監督は日本育ちのアメリカ人女性。上野千鶴子さんの司会はさえていたが、小熊英二さんの学童疎開に関する話はまったく裏を欠く一方的なものであった。疎開のなかにはたしかにいじめや教師による食糧の独占や横流しもあったろう。しかし、それだけではない。小熊さんは資料を読み、引用するはうまいが人のはなしをまったく聞いていないのではないか。

6月14日

2010年9月15日 水曜日

午前中、日暮里に新しくできた文建協の建物で会議。午後、藤原書店にて粕谷一希さんと雑誌作りについて語る。かえり高田馬場の居酒屋でご馳走になる。

6月5日より12日まで丸森

2010年9月15日 水曜日

今回、山登り、釣、テープ起こし、姥子温泉、滑川温泉行きなど。充実。しかし高校生時代から気になっていた姥子温泉がすっかり建てなおってつまらない。それにたちより湯の客はたてものの中に入れてもらえず、なにか入り口の切符売り場のようなところで、500円払うと「あっち」と露天風呂を指さすだけである。客が多く来るので「入れてやる」というエラそうな態度がイヤでもうくるもんか、とおもった。
去年の五色温泉もそう。豪雨の中、たどり着いたわたしたちから主人は眠そうな顔で金を受け取り、あとは風呂場の場所を示しただけでいらっしゃいませもありがとうございました、もなかった。勝手に入れと言うことらしい。内湯はいいが、露天はベニア囲いでぬるすぎた。そこに行くと滑川温泉はで会う従業員みんな笑顔で、いらっしゃいませと声をかけてくれるし、こちらのたわいない会話にも応じてくれて、建物は由緒あって、床なんか黒光りしているし、モウ絶対今度は泊まりに来よう、と真理ちゃんとちかったのであった。やっぱり主人の人柄かな。

6月2日

2010年9月15日 水曜日

水族館劇場。これで10回目とか。芝居は年々凝って、今年の舞台セットなんかすごかったけど、内容は最初の頃の方が楽しかったな。

*トピックス

2010年8月31日 火曜日

去年のことだけど、谷根千工房は「下町人間の会」から『下町人間庶民文化賞』をいただきました。このところ賞に縁のなかった私たちですが、この賞はとても身の丈に合っていて、谷根千の最後を飾ることができました。みんなシャイなのでご報告が遅れました。ご推薦いただいたのは不忍池の地下駐車場反対運動をいっしょにがんばった台東法律事務所の清水洋弁護士をはじめとするみなさんです。
下町人間の会は1977年に小池夢坊さんらの提唱で始まった。趣意書には「古きよき下町の誇りある遺産を受け継ぎ、理解を深め、現代に活かす」とともに「虚像の都会に人情の温かさと潤いのある生き方を求め、普及し、物欲あふれる現代社会に人間本念の姿を顕象し、皮相な流行文化を打ち砕く」などの激しい言葉もあります。

その第1回のの受賞者は谷中に住んだ新内がたり岡本文弥さんであったとは、『長生きも芸のうち』の伝記作家としてもうれしい。

第2回 木下繁太朗さんは下町の赤ひげと慕われた医師で、鉄砲洲診療所長。夫人が協和会の理事長木下安子さんであられる縁で、谷根千の仲間たちは繁太朗先生の別荘に毎夏遊びに行かせてもらっています。

第3回 沼田潔さんは谷中在住の台東区議で、反戦平和、生活擁護に活躍、その娘さんには池子の森を守る運動で知り合いました。
波木井皓三さんは演劇評論家で吉原大文字楼の息子として生まれた苦痛を谷根千27号『回想の桜木町」に書いてくださいました。
山田大さんは根津の魚問屋の大旦那で、そのお店日本丸大さんでは谷根千を毎号10冊づつ買ってくださいました。

第5回 嵯峨敝全さんは上野東照宮の宮司で、不忍池地下駐車場反対運動でご一緒し、いろんなことを教えてくださいました。反戦誓いの火を境内にともしています。
服部浩久さんは千駄木3丁目のタバコ屋さんで、バブル期、執拗な地上げの脅しに屈せず、裁判で勝ちました。谷根千12号を見てください。

第7回 阿部孝平先生はよみせ通り診療所の所長。谷根千を応援して診療所で普及してくださったかた。
おなじく伊川浩永さんは本郷法真寺住職、一葉資料館を造り、11月23日の一葉忌には境内で谷根千普及に協力してくださいました。

ほかにも田端文化座の鈴木光枝さん、根津診療所の赤沢潔先生、上野動物園の飼育課長小森厚さん、谷中領玄寺の中濃教篤住職はじめ谷根千を応援し、多くを教えてくださった方々が多数、授賞されていて、一人一人の言葉やたたずまいを思い出しています。