‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

7月27日

2010年9月28日 火曜日

小さな上映会を蔵で。なつかしい「蛙になったお姫様」を見る。幼稚園のとき見て以来だが、筋も音楽もばっちり覚えていた。それなのに最近のことは何も覚えられない。とくに新幹線の座席番号とか、約束した日にちとか。パンをロースターに入れて焦がすこと三回。うごかず焼けるまでじっと待つことにする。

7月26日

2010年9月28日 火曜日

ジャーナリストたちと話す。「観客が減ってくると暴力団につけ込まれる」「ごッつあん体質で細かいことをいわないのが美徳とされている」ある相撲記者の書いた本を読むと、幕下くらいでも財布に50万入っているというようなことが書いてある。関取にご馳走になった話も。ほんとうかな。いっぽう柴田川部屋、田子の浦部屋などのホームページを見ると関取はいないし、アットホームで厳しく仲よく牧歌的に地味に部屋経営をしているようで好感が持てる。琴欧州関のたどたどしい日本語のブログも秀逸。謙虚でやさしい人柄が伝わる。病院や幼稚園の慰問なんかにもよく行っているようだ。いっぽう日馬富士関のブログは日本語が達者だが誰か助けて書いているのだろうか。大関だけに日常は派手でフグやかにやフォアグラなど食べたり、有名人・芸能人とつきあったりしているようだが。もっと普通の人と付き合えばいいのに。

7月24日

2010年9月28日 火曜日

土曜日の午前中、国技館で第二回独立委。両国の駅前にマスコミ各社がおり、許可も求めずマイクやカメラを向けてくる。それにいやな顔をするとバッシングされてしまうかもしれないから、できるだけにこにこしてあっさり通り抜ける。でも記者さんたちもついこの暑い時期に外で張っていて御職掌柄とはいえごくろうなこってす。
きょうは維持員について、担当の出羽の海親方が来て説明してくれた。親方も謹慎中の身らしい。

7月23日

2010年9月28日 火曜日

きょう手紙で届いた意見。「テレビ中継をやめたのは反体制勢力の思うつぼ」「力士は勝負師、けんかや賭け事がすきなのはあたりまえ。」「マスコミが悪い。いつもは相撲協会に便宜をうけてなあなあなくせに、なんかちょっとした問題が出ると突然正義の味方でバッシングする」「反社会勢力の定義が曖昧」。この知人の意見はごもっともだがいつも傍観者であり上から目線だ。エラそうなので読後感が悪い。

7月22日

2010年9月28日 火曜日

「野球賭博なんてやっていてなにが品格だよ、格式だよ。でも今の力士にそんなことを要求する方が無理だし、酷だよな。雅子さんだッてあんな閉鎖社会に入っておかしくなったんだもの。おすもうさんだって一挙手一投足まで縛られるんじゃ、いやになってしまうだろう」とタクシーの運転手さん。
相撲中継がないためか、きょうはNHKで太極拳の大会をやっていた。おもしろかった。

7月21日

2010年9月28日 火曜日

近所のご隠居いわく「相撲協会は名古屋場所なんかやるべきじゃなかった。賜杯をいったん辞退して今度は自分から、またくれというのか?みっともない。だいたい賜杯は天皇杯ではない。相撲が好きだった昭和天皇が皇太子時代にくれた下賜金で杯をつくったもの。国技と言うが、あれは国が指定しているわけではなく、明治四十二年にできた常設館を国技館と江見水蔭が名付けただけで、その前にできた柔道の講道館が国技館と名付ければ、柔道が国技になっていたはずだ。ま、柔道は明治以降にできた武道なので、相撲の方が歴史が長いのは確かだけど」という。例によって何でも知って居る人。

7月20日

2010年9月28日 火曜日

仙台で法然に関するシンポジウム。「ガイアーー地球協奏曲」を作る龍村仁さんに久しぶりに会う。出番までひまなので繁華街で買物。終わって丸森へ。つい相撲の話へ。「興行ッて奴は昔から芝居も音楽も映画も地回りと縁が切れないし、相撲だって暴力団とては絶対に切れない」という人あり。田舎の山の中にもその筋のものはおり、公共の宿などで会合を開くと市長や町長はお祝いに駆けつけたりするとか。「ああゆう連中は最初はやさしくて持ち上げてくれて、わるいことに誘い込んで、賭博なんかでもはじめは勝たしてくれ、だんだん負けが混んでくると脅しあげて、借金返せと言い、ついには自殺に追い込んでしまう」と言う人。相撲協会はいま、スケープゴートになっているが、政治家から芸能界から日本の社会すべてがながらく同じ体質だった。「警察は山口組などとの全面戦争に入っているのでまず、相撲にターゲットを絞ったのだろう」という人もいる。
タレントなどがことさら脱税であげられるのも、有名人を懲らしめることで一般の人を震え上がらせる効果もあるのだろう。

7月17日

2010年9月28日 火曜日

きのう、ぶら下がりという記者たちに捕まって行ったコメントがひどく歪曲されて新聞に出ている。選挙のあとなど市民代表みたいな感想コメントを求められることが多いが、いつも記者の思惑通りに改ざんされるので、こういうことには応えず、「意見は自分の場で書きますから」ということに徹底する。興味本位でなく、本当の改革に寄与したいという真摯な記者とは協力したいが。
東京大学で桜井均さんの話があるので行く。小倉さんというディレクターのしごと、水俣の貴重な映像をみる。帰り、今野勉さんと桜井さんと構内でビールを飲むが、風涼しく気持ちいいが蚊に刺された。

7月16.17日

2010年9月28日 火曜日

振り替えた午後1時の便で帰宅。東京会館で第一回委員会。11人の委員揃う。憂鬱。まだ五里霧中。これから勉強すべきことは多い。資料よむのがこの目ではつらいし。われわれの任命者は協会。委員手当は協会からもらうがあくまで国民全体の利益のために。といっても官庁の委員手当くらいの薄謝である。
四分の三を外部理事にして、いま13人いる理事の数を減らす。それでわれわれのしごとは終わりだという委員もある。しかし親方はみな評議員だし、理事になることを目標にがんばっている。しかも親方たちは協会から給料や育成費をもらっている。利益代表である。そう簡単に理事や評議員の肩書きを手放すはずはない。しかも一門、部屋ごとのながい歴史といわくもある。改革するのは大変である。
終了後、別室で記者会見あり。ライトやフラッシュは使われなかったが、照明そのものがまぶしかった。サングラスをここでかけたら悪い印象だろうな。できるだけハジに座り、質問が来ないよう下を向いている。でも終わったあともはじめてぶら下がり取材なるものを受けた。
夜、相撲界の編集長阿部七重さんとあう。前からの知り合いで、妹分みたいなひとだ。残念ながら今号で終巻だそうな。そのことにもこの間の不祥事による相撲人気の低下が現れている。焼き肉を食べながら相撲界のあれこれを教えてもらう。しかし彼女も相撲の雑誌を作りはじめてまだ一年。
それでも角界の実情をきく。新弟子になる人がいなくてレベルが下がっているらしい。礼儀や作法の点で大学出と外国人が相撲のネックだという意見もあるらしい。朝稽古をしたあと、午後は閑なので、つい部屋で賭け事などしてしまうのではないか。部屋の師匠もいろいろだし、違法賭博をしたのはごく一部なので相撲界全体を色眼鏡で見るのはどうか、という。

7月15日

2010年9月28日 火曜日

聞き書きワークショップ続き。みんな慣れてきて質問も上手、この日夜は隣町の由緒有る旅館を改造した料亭にて食事。
夜、相撲協会の事務の方に、そういえば私は自己免疫疾患原田病で失明しそうになっており、白内障気味なので、マスコミにフラッシュやライトはあてないようにしていただけますか、と申し入れた。もうないかと思ったら佐野山親方の賭博疑惑など、またいろいろでてきて困っているらしい。