幼稚園からの親友、ゆみちゃんと巣鴨の常盤食堂。彼女はいろんないきさつがあって今は業績のいい女社長なので、フランス料理でもよかったが、かえってなすのしぎ焼きとマグロ納豆を喜んでくれた。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
8月9日
2010年10月18日 月曜日8月8日
2010年10月18日 月曜日仙台の七夕を見る。余り動きのない祭である。商店街にいっぱい飾り物がでているだけ。出店は有名な蒲鉾屋と牛タンや、萩の月、何だか商業ベースの祭で、ねぶたや竿燈のようなわくわく感がない。
8月6日
2010年10月18日 月曜日真理ちゃんと福島に行く途中、花蝶なる食堂でそばを食べる。ここはウナギもおいしいとか。いっぱい絵や骨董があった。正岡子規たちよりの場所ッてどういうことかな。つまり西行が歩いたあとを芭蕉がしたって歩き、明治になって子規がそのあとを歩いたということらしい。
姥湯へ行く。崖にへばりついている旅館。しかしたちより湯の我々に対しては窓口でまるで入場料みたいに五百円とるだけ。こんな応対でも人が来るのでだんだんぞんざいになったのだろう。混浴の方におじいちゃんなら入っちゃおう、といったら若い男のひと二人なので取りやめ。女湯もお湯と景色はいいが何しろ熱い。
かえりに滑川温泉に行ったら。こっちの方が古い建物で、宿のひともみんないらっしゃいませとお辞儀をして、親切丁寧だった。古いピカピカの床、湯治だと3000円もしないそうなので今度みんなで来ることに。またまた米沢でラーメン、ここで育てているらむ肉を少し買って帰る。
8月3日より
2010年10月18日 月曜日丸森で静養。暑くて静養にならず。東京はあちこちにクーラーがあるしね。緑山レストランのシェフの料理をいただく。
あった人。「白鵬が賜杯がないと言って涙を見せた。それに天皇陛下がちゃんと応えてメッセージを出された。日本の国はいいね。うるわしい。ホント感激した」農村のおじさんの平均的な意見かも。野球賭博問題が天皇制強化につながるのは困る。小堀杏奴さんの『のれんのぞき』解説のためよむ。
8・2
2010年10月18日 月曜日『路地の匂い町の音』、文庫化にあたり、少し内容を整理、並べ替えた。文庫には単行本にないものを入れるのが著者のサービスなので、編集者のKさん、装幀の矢萩さんと蔵にて古い写真を探す。谷根千の最初の頃、まだ閑で町をよく歩いては撮った写真。下手だけど、今はもうないものばかり。根津のアザミ屋のシャツ。吉田や酒店。
懐かしくて呆然とする、これをとった頃、矢萩さんは2、3歳?
8月1日
2010年10月18日 月曜日浅草にて久しぶり天空句会。参院議員となった有田芳生さんも参加。こういういいひとが政治家になるのはめったにないことだが、それだけに政治の世界でやって行けるのか心配、とはみなの一致した意見。思いつきで作った、
べランダのネギ紫蘇うれし冷素麺
シャワーしてあとのスイカの歯にしみる
どちらも点がはいり嬉しい。
最高句は
行水やそろそろきはるお豆腐屋さん
7月31日
2010年9月28日 火曜日第三回会議。親方たちとのヒヤリングに移った。現役力士を引退したあと、年寄り株を手に入れてた人たちだ。そのうち部屋持ちは師匠と言われる、親方たちは最初堅い感じだったが、和やかに応答が行われ、春日野親方は「きょうはみなさんを敵だと思ってここにきたが、どうもそうではないようで」とわらっていた。大変勉強になった。3時より「蔵の研究会」。亀井文夫のドキュメンタリー「戦ふ兵隊」などを見る。
7月30日
2010年9月28日 火曜日朝、蔵で朝日新聞のインタビュー。午後、北里医大へ。夜、本郷で津田篤太郎先生を囲む勉強会。
7月29日
2010年9月28日 火曜日この夏は暑い日、ほとんどスポーツクラブで泳いでいた。ヤマサキよりメールあり。相撲はよくわからないけど、死ぬ前に父親は場所のあいだは中継を全部見ておとなしくしていたので、介護する側は楽だったとのこと。
7月28日
2010年9月28日 火曜日矢萩多聞さんと装幀2冊分の打ち合わせ。夕方、はじめてツタヤにいき、映画を借りてくる。なんだかハリウッドの大作ばかりで私の好きなドキュメンタリーや文芸ものは少ない。ああ、リバティの閉店は痛手だなあ。「エンロン」「ビクトリア」「ガンジー」「不機嫌な真実」など借りてみる。池袋であったひとから提案の手紙。勤労者は相撲をリアルタイムで見ることができない。一時間半、競技を繰り下げればNHKで帰宅後に相撲を見られるのでは。