3月12日

結婚式当日。親族中が泊まっている。私は起きても着替えがない。みんなが素敵な衣装をお召し替えするのに自分は紺色の帯で作った絞りのドレス。しまった。パールのネックレスもホテルだ。この3階建ての家は5つのシャワールームがあるが30人くらいのゲストはじょうずに空いたのを見計らっては沐浴し、着替えているらしい。ダッタプラサード夫人ラジュさんに聞いたら、サリーを3枚、パンジャビーを五枚、持ってきたという。この地方の女性はサリーが主でお母さんなどはサリー一本槍だ。結婚式は7時からということだったが雨。ただ雨はインド人が渇望するものでむしろ縁起が良いとされる。止んだり降ったり、会場も二転三転した。こちらはスピーチというものはなく、飾り立てた舞台の上に花嫁花婿と双方の両親兄弟が並び、みんな列をなしておめでとうの挨拶をするのみ。大変なご馳走が出たが、それもバイキング方式で勝手に食べて勝手におしゃべりする。後で聴くと800人の客がきて9割はお父さんの会社の前の同僚とか、お母さんの小学校時代の友だちとか、直接に知らない人だったらしい。この日、セティ家の従兄弟たちが泊まるホテルの部屋がなく、私はバクレ家に連泊。