〇ワセドキュで、ドキドキ

私は早稲田大学ジャーナリズム研究所の特別招聘研究員を務めております。日本の優れたジャーナリストのほか、マーティン・ファクラーさんやジャン・ユンカーマンさんも同僚です。さて、ここで大学の持つ小劇場、早稲田どらま館がタダで借りられるので、若い人に優れたドキュメンタリーを見てもらおうと、いうことで、六月末から七月頭、私も企画実行委員として毎日通いました。以下のドキュメンタリーが上映された。

6月30日
樹木希林さん登場。東海放送製作、戦争を考える各局の6本のドキュメンタリーを軸に、樹木希林さんが旅をする。
満州の日本人残留孤児、日本に残留孤児となったアメリカ人、戦後抑留して帰ってみたら家も土地もなくアカと言われ、また開拓、特攻隊に行った自由主義者、沖縄で最初の捕虜はその後日本軍に処刑される……戦争は庶民にいいことは一つもない、それが父母の口癖でした。
知覧の特攻平和記念館(これって形容矛盾だけど)、よく考えて、素敵な若者たち……「もったいない」と希林さんが漏らした言葉はそのまま私の気持ち。
明日も続きます。明日からは原発がテーマ。
それこそ人数が少なくてもったいなかったけど、各局ディレクター、「日本の原発」の木村結さん、なんと平松洋子さんもいらしてました。
一階のクレープ屋さん、隣の油そば屋さんも美味しい。キッチン南海もあります。でも久しぶりに行くと早稲田も変わったなあ。懐かしい麻雀早苗の一階がおしゃれなカフェになってた。

7月1日 古居みずえ監督をお招きして「飯館村の母ちゃんたち」
私が畑をやっていた宮城県丸森町から5キロ行くとそこが飯舘村。
福島原発からはかなり遠いのに、風に乗って流れた放射性物質のため、ここはホットスポットとなり、全村計画避難地域になった。
そこに暮らしていた菅野栄子さん、菅野芳子さん、親戚の二人の仮設住宅での支え合う日常を描く。
近くに畑を作り、長い百姓の技術を生かし、成果物をよく食べ、凍み餅や味噌作りを遠くまで教えに行ってついでに飯館村の現状を語る。栄子さんはしっかりした考えを持って、発信力もありよく笑う。
おとなしくて優しい芳子さんもそれにつられてにっこりする。
でも心の中では血を流し、泣いているに違いない。
阿武隈のなだらかな山並み、青い空、そこで暮らし、死んでいけると思っていた安らぐ大地が放射能に冒され、埼玉の避難所で芳子さんの舅・姑は亡くなり(原発関連死)、栄子さんの子供も孫も新潟に避難してバラバラ。
国家がとった間違った政策で生活をズタズタにされ、帰るあてもない住民。一昨日見た、満州移民、残留孤児、混血児、特攻隊、すべて同じ構図。
6000人いた住民がいなくなった村では今6000人以上の作業員が除染を進め、数千億かかるという。「みんなで村に帰る」という村長の考えは正しいのか? 除染は可能なのか? 4年間通い続けて暮らしを描いた古居みずえ監督に拍手。
欲を言えば、私には懐かしい飯舘弁は見る人にわからないだろう。
女性でも「おれ」「こいつ、食うか?」と言い、「おらほ」「わがい」は「私の家」「じゅうねん」はエゴマのこと、食べると10年命が延びる。少し字幕でサポートしても良かったと思う。
伊達東の仮設住宅とふるさと飯舘の距離も補ってほしい。松川の仮設ってどこにあるのか、その距離感が大事だと思う。
あと、飯舘の大豆で味噌作りをするところ、これは2010年収穫の放射能に汚れていない豆だと思う。ちょっと補足がほしい。福島県の農産物が売れない、それは悲しく悔しいことだ。でも「食べて応援」もまた問題の解決にはならない。このような原発事故の補償をちゃんと東電にさせる。二度と事故が起きないよう、故郷を追われる人を出さないよう、選挙で、原発政策を推し進めた政党に鉄槌を下す。今熊本あたりで地震が起こっているのに、原発を止めない連中を落とす。それしかありません。

自分の締め切りがあるので、すでに見た亀井文夫「生きていてよかった」「流血の記録砂川」は見なかった。

7月2日15時より「プルトニウム元年」3、広島放送、1993年
これもすごかった。浜岡原発で働いていた島橋伸之さんは出血しながら死んでいった。ご両親の無念、しかし彼の放射線管理手帳には異常なしが並ぶ。架空の医療機関のデタラメ検査。広島原爆の後のABCCの隠蔽とそっくり。疫学調査のデータを集めながら、それは被曝者を助け、治すことには使われなかった。
本作品は原発の問題に真正面から取り組んだ極めて珍しい作品として「地方の時代映像祭」のグランプリを受賞しながら、その後、中国電力の「スポンサーを降りる」という圧力により、ディレクターや部長は営業に配転、番組制作には関われなくなったそうだ。
ハイビジョン特集「ヒロシマの黒い太陽」2011、渡辺謙一監督
原爆開発の歴史をたくさんの映像や証言で追っていく。アインシュタインの原爆推進、イギリスも原爆製造を狙っていたがロンドン空爆などで余裕がなくアメリカに研究成果を譲渡、アメリカはオッペンハイマーをトップに、秘密裏に原爆製造を遂行、ウランはベルギー領の植民地から、アメリカの産業からはヂュポン社やモンサントが協力、日本でいよいよ使うことを決める。投下翌日のアメリカの新聞に「10万人のジャップを殺す」という見出しがあったのには驚いた。大戦後の対ソ政策もあり、トルーマンは原爆投下を指令したが、これは人道的でないと止めさせようとした科学者やもいたし、フーバー元大統領も批判。戦後、意気揚々と本人が本人を演ずる「原爆製造映画」まで取られていたとは・・・
後者は政策トップのエリートの動きを膨大な資料をつなげて見せていて勉強にはなったが、なにぶん情報量が多くて一回見ただけでは頭に定着しない。内容を活字にしてほしい。前者は、普通の人々の苦しみがインタビューで出ていて映像ならではの作品。好感を持った。映像にしかできないこと、活字ができること、いろいろ。

7月3日、日曜日
3本の優れたドキュメンタリーを見た後で、ディレクターたちと金平茂紀さんと。
1本目はNHKスペシャル「チェルノブイリ、隠された事故報告」七沢潔ディレクター、1994年。現場作業員のミスから起こったとされる事故が、実際は原子炉の構造的欠陥にあったことを証言により暴く。ソ連政府は知りながら隠蔽、IAEAもアメリカも黙認する。グラスノチを目指すゴルバチョフの譲歩、ソ連の軍産複合体制も明らかになる。死んだ作業員たち、消防士たち、本当に気の毒。
2本目は同じくNスペ「ロシア・小さき人々の記録」鎌倉英也ディレクター、2001年。独ソ戦、アフガン帰還兵、チェルノブイリの犠牲者、ベラルーシの作家アレクシェービチは国家の都合で人生を翻弄された人々のかそけき声を拾ってきた。「勇気を持たなければ、どこも隠れるところはないんだから」というチェルノブイリ被爆二世の少年の言葉が心をえぐる。
三本目はBSプレミアム「赤宇木」大森惇郎ディレクター、2016年。福島県浪江町の赤宇木というところ、極端に線量が高い。その集落の区長は今、100年後も帰れないであろう村の歴史を書き残すべく、避難したバラバラの人たちを訪ね歩く。同時に今の村と線量を記録し続ける。天明の飢饉、満州移民、戦死者たち、戦後の苦しい開拓、出稼ぎ、歴史に翻弄されながら生きてきた村の人々をまた今、国策である原発がめちゃくちゃにする。
本当に素晴らしい3本。NHKにはこれほど優秀な製作者がいながら、どうしてそういう人ほど制作現場から外されるのだろう。もったいない。そして巨費と人材を投じて作られた映像は放映ののちお蔵入り、オンデマンドで検索してもそれほど見たくない旅ものやドラマが多い。見たい人は横浜のフィルムライブラリーまで行かなければならないんだって(お見逃しの方はインターネットにタイトルを入れるとみられることもあります)。
この三本とも編集した鈴木良子さんの話も聞いてみたかった。鈴木さんへの信頼と尊敬をたくさんのディレクターから聞いている。ディレクターが撮ってきた膨大なフィルムをどうやって料理するのだろう。
「記録されないものは、忘れられてしまう」、アレクシェービチのやってきたことは私の思いと仕事にも近い。しかし彼女は最後の独裁者ともいうべきベラルーシのルカシェンコの下で弾圧を受けながら記録してきた。自分はまだまだ甘いなと反省。

wasedoq