5月17日

家のお米がなくなって、息子たちのリクエストで鳴子の米プロジェクトの『雪むすび』を注文の電話をかけた。去年は東北の別の米を買ったのだった。ところが去年秋の雪むすびは12月前に完売。NHKのテレビ放送のあと注文が殺到したという。いい事だけどなんだか割り切れないような。一昨年も昨年も今頃、注文してもあったのに。いっぽう東北のほかの米農家はなかなか米が売れなくて苦しんでいる。

メディアの威力と言うものになんだか、あーあ、である。

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森鴎外43歳が日露戦争従軍時に第二軍軍医部長として妻へ書いた手紙。「今度は何万と言う兵隊がもう15日も居るが悪い病をここで発したものはまだ殆ど無い位だ」(明治36・4・7)、「我が跡をふみもとめても来んといふ遠妻あるを誰とかは寝ん」(4・17)。「奉天には遊びどころがあって女なんどもいるので人がだいぶいくようだ。おれにはなんでそんな馬鹿な事ができるたらはたから見ても分らない」(38・4・20)

5・15

辺見庸さんの毎日新聞のインタビューがすごい。震災後のマスメディアの自己規制について。わたしも『震災日録』についていうと言いたい放題と言うわけにはいかなかった。自己規制は普通の人を傷つけないか、というところに働いた。でもみんなを傷つけない言説なんてありえない気がする。

「今の世に神経衰弱にかからぬやつは金持ちの魯鈍ものか、無教育の無良心の徒さらずば、二十世紀の軽薄に満足するひょうろく玉に候」
「小生千駄木にあって文を草す。左右前後に居るもうろくども一切気にくわず、朝から晩まで喧嘩なり。」
「僕は世の中を一大修羅場と心得ている。そうしてそのうちにたって華々しく討ち死にをするか、敵を降参させるか、どっちかしてみたいと思っている」

漱石には励まされる。