5月16日

橋下大阪市長の発言は女性議員や女性団体から総攻撃されている。「性的欲求が強い若い男がたくさんいる軍隊の近くに慰安婦のようなものは必要だ」という考えなのだと思う。それで沖縄の司令官にあからさまにも「風俗をもっと利用して」といったのかもしれないが、自分を基準に物事を考えてはいけない。だいたい大阪市長が沖縄の風俗を利用しろとは余計なおせっかいだ。愛人が何人もいたと書かれて、「ぼくはそのころ政治家じゃなかったし、聖人君子じゃない」とさらっと逃げたのものの、今回馬脚を顕わすと言う事か。ほかの政治家の反応が鈍いのはみんなすねにきずを持つ身か。そうでない男性も多いとおもう。例えば

森鴎外43歳が日露戦争従軍時に第二軍軍医部長として妻へ書いた手紙。「今度は何万と言う兵隊がもう15日も居るが悪い病をここで発したものはまだ殆ど無い位だ」(明治36・4・7)、「我が跡をふみもとめても来んといふ遠妻あるを誰とかは寝ん」(4・17)。「奉天には遊びどころがあって女なんどもいるので人がだいぶいくようだ。おれにはなんでそんな馬鹿な事ができるたらはたから見ても分らない」(38・4・20)

5・15

辺見庸さんの毎日新聞のインタビューがすごい。震災後のマスメディアの自己規制について。わたしも『震災日録』についていうと言いたい放題と言うわけにはいかなかった。自己規制は普通の人を傷つけないか、というところに働いた。でもみんなを傷つけない言説なんてありえない気がする。

「今の世に神経衰弱にかからぬやつは金持ちの魯鈍ものか、無教育の無良心の徒さらずば、二十世紀の軽薄に満足するひょうろく玉に候」
「小生千駄木にあって文を草す。左右前後に居るもうろくども一切気にくわず、朝から晩まで喧嘩なり。」
「僕は世の中を一大修羅場と心得ている。そうしてそのうちにたって華々しく討ち死にをするか、敵を降参させるか、どっちかしてみたいと思っている」

漱石には励まされる。