4月27日

1日校正。夕方、ドリアン助川さんのコンサートに行く。

郷土史発掘!本郷菊坂の女子美について。女子美術大学の沿革史には載っていないが、この学校は明治37年に本郷弓町2-1、旧加賀大聖寺藩前田邸あとに横井玉子と藤田文三が設立、日本で初めて女子が美術を学べる学校となった。横井玉子は17歳で横井小楠の養子時治(佐平太)と結婚、ミッションでさまざまなことを学び、英語、礼式、裁縫、洋画、料理などを築地の新栄女学校、のちに桜井女学校で教えた。明治33年に女子美術を創立時、こわれて舎監となった。玉子は明治36年なくなる。
同校ははじめから経済的に厳しく、順天堂の創始者佐藤尚中夫人、佐藤静(志津?)が引き継いだ。明治41年に火災により弓町校舎が炎上、菊坂に移転。ここは振り袖火事の火元となった本郷本妙寺のあとで、樋口一葉も種痘をした場所であるが、その後、公立学校になっていたところ。大正5年になると佐藤高等女学校も建てられ、た。人が増えて手狭になったため、女子美は杉並区和田堀の現在地に移る。佐藤高女はそのあと渡辺裁縫学校(今の家政大学)に買収される。この建物は下町の大空襲で、向いの菊富士ホテルとともに焼失。