11月10日

東京人の創刊二十五年の鼎談。そのあと久しぶりに中村彝や中原悌二郎のことを読み、考え、胸が熱くなる。大正のころ、どんなに貧乏しても描きたい絵を描き、作りたい彫刻を作り、仲間と芸術論を戦わした若者たちがこの町にいたかと思うと、励まされる。
『僕は漁師の息子だ。どんな辛抱だってできる』と言い切った中原等といまのロスジェネの若者はちがうような気がする。赤ん坊のころから大切にされ、保護されて育ち、50%は大学に親の金で行き、そのあと就職はじめ社会に放り出される。就職に失敗し、したけどすぐ辞めたりして次第に下層に落ちてゆく。世の荒波にさらされるのが遅すぎるような。彼らには辛抱なんてできないし、仕事は選ぶし、過保護のためか大人になるのが遅い。大学はまるで幼稚園だ。大学が父母の会を主催し、学生課が授業の取り方やシュウカツに着るものまで手取り足取り。20代は後期子供時代と言ってもよい。就職できないのは彼らのせいではなく、社会構造の問題はあるが就職先を増やしてもすむ問題ではないような。