6月26日 津波と自動車

三陸河北の記者たちが聞き取った津波体験の集成を読む。津波に巻き込まれると洗濯機のうずに巻き込まれたよう、スーパー銭湯のジェットバスという表現もあった。この一年、震災の体験談を読むことが多い。

岩手の犠牲者の数が宮城に比較して少ないのは、三陸で何度も津波を経験しているからだと言う。私の聞いた範囲でも、仙台以南の海岸べりではまさか津波が来るとは思いもしなかった、と言っていた。そしてこのあたりは海のそばに高台はなく、逃げ場所もなかったということだ。国道六号線が津波到達の境で、国道にのぼって助かったという人は多い。

石巻とその周辺では5000人を越す方が犠牲になった。チリ地震でもたいした津波は来なかったといって高台に避難しなかった人は、多く自宅でなくなった。第一波がそれほどの高さでなかったので、いったん引いたあと、家に貴重品を取りに戻った人々もいのちを失った。

一番怖いのは車で逃げた人の話である。渋滞の道に津波がかぶさり、車ごとふわっと浮いて海にさらわれた。外からどんなに「車を捨てて逃げろ」といっても聞こえないようだった、という話もある。また乱暴に対向車線をはしって車を追い抜いた車もある。それを「ずるい」と思ったが、いのちには替えられず自分も追い抜いたと言う人もいる。

またパワーウィンドウが下がらずに車から脱出できなかった人もいる。義妹が北海道で旅行中、パワーウィンドウーが壊れ、とにかく暑くて困ったわ、と言っていたのを覚えているが、手回しであく時代は決してなかったことである。電気の力に頼るのはこわいものだ。この教訓を自動車メーカーはどう活かすのか?

そして車は時に人を守ってくれるシェルターにもなるが、津波で運ばれた車やトラックは家にぶつかり、家を破壊して行った。人にぶつかりそのいのちを奪って行った。地方へ行けばいくほど、車依存はつよい。それも反省すべきではないか?

一番忘れられないのは、『世界』の読者手記で若い兄と妹がさながらアドヴェンチャー・ファミリーみたいにけろっと逃げて行くヤツ、もう一つの手記は流された家の屋根に立つ男性が、にっこり笑って手を振ったと言うシーンである。すごいなあ。