6月22日

大飯原発再稼働への反対はこのホームページのトップに載っています。

去年の3・11で考えが変わったという人が多いのですが、私は考えを変えなくてすんだのはラッキーでした。1993年の『抱きしめる東京』のあとがきに東京が生き延びる手だてとして私は書いています。

駐車場を作るより車を持たないこと

地下はこれ以上掘らず、地下水や井戸を大切にすること

海は埋め立てず、海として放っておくこと

遠くの山村の自然をこわしてダムをつくるのでなく、雨を土に戻し、その水を飲むこと

都市型洪水を防ぐには、雨を下水に流さず、各戸で貯めるか、土に戻すこと

夏はクーラーをつけず窓を開けること

ゴミ焼却場を増設するより、包装を省きゴミを徹底して減らすこと

都電のような地上の景色の見える、停留所の距離の短い、乗りやすい乗り物を復活すること

歩道橋は廃止して、横断歩道を確保し直すこと

都心を車にとって不便な町にすること

鳴り物入りの公共施設を一つつくるより、地域に小さな歩いていける施設を分散すること

建物も新しく建てるより直して使うこと

「東京は、私たちは、後ろ向きに前進するしかない地点にいるのである」

この提案は当時、私の地域雑誌『谷根千』のもっともよい理解者であった須賀敦子さんにすら「とうてい納得しがたい」といわれたものでした。しかしいまは時代のほうが追いついて来てくれているように感じます。この本は現在ポプラ文庫で読むことができます。暮らしの中から見えてくることを書いたので、原発反対とまでは言っていませんでした。そしてチェルノブイリの事故の時、学習会やデモに参加しながら、その後油断していたと後悔しています。1993年は不忍池地下駐車場の反対運動をしている最中でしたが、この計画はストップさせることができました。そして遠くの山村をダムにするのでなく、という提案の責任で、私はこの数年は八ッ場ダム建設反対に関っています。

しかし3・11以来、考えは変わりませんでしたが、生活は一変しました。

いてもたってもいられなくて、被災地に通い、原発の情報を得、デモに参加したり、国民投票の賛同者になったりしました。子供2人が家に戻り、内部被曝を考えれば出来るだけ外食はさせたくないと思い、毎日、ご飯を作っています。書く仕事より、原発をやめさせるために、家族を守るために、被災地の方たちに小さなことでも手伝うために、生きているのです。

その中で迷うことは多くありました。

瓦礫の広域処理は正しいか、

もそのひとつです。いろんな資料や学習会に参加して、いま広域処理を北九州がしようとしているので、九州の友人に書いたメールです。

Nさん

3・11以来、情報と勉強が足りないため、心は揺れ、意見を修正せざるを得なくなることは多くあります。物書きとしていったん表明した意見を変えるときは、変えたことを述べる義務があります。一番大きい瓦礫処理のことを申し述べます。あらあらです。

最初、京都の住民が陸前高田の松をお炊き上げに使うのに反対した時、私は京都市民に反感を持ちました。そして東京都の石原知事が女川の瓦礫処理を引受けたときはあの石原にしてはイイコトをする、と思いました。
しかし、その後の事態と学習によると瓦礫の広域処理は問題が多すぎます。

1、「瓦礫を見るとつらいから、早くどこかに持ってってほしい」「復興がすすまない」と被災地の人々がいっていると伝えられますが、いっぽう「瓦礫はものではない。下にはまだ遺体もある。人々の暮らしの痕跡がすべてふくまれている。ものとして焼却処理をしないでほしい」という声も被災地にあります。

2、福島の瓦礫には現在手を付けられません。岩手、宮城など全部で2250万t出た瓦礫のうち、500万tを広域処理しようとしています。
処理は環境省、復興は内閣府といった縦割り行政で、瓦礫処理全体で1兆円の予算がつきました。しかし瓦礫の量は減り(仙台市が自前で処理するシステムを早急に作った上、他の自治体のも引受けたこともあり)下方修正しなくてはならなくなりました(宮城では1573万tから1153万tに)。
ゼネコンJVの手で瓦礫処理はビジネスになり、総量で請け負われ、処理する量が少なくても丸儲け、その中の一部は北九州などで処理されることになりそうです。これは予算の消化のためではないかという説もあるようです。
現場で焼却場を作りたいと陸前高田市がいったとき国も県も無視しました。現地で処理場を作れば雇用も生み出すこともできるのに。

3、しかし考えればわかるように、瓦礫を石巻から北九州に運ぶのには運送費用がかかります。現地で処理すればトンあたり2万2千円。九州まで持って行けば6~7万円くらい。これはゼネコンばかりでなく海運業者のビジネスにもなりつつあります。広域処理には補助金がでます。『心ある自治体に引受けてもらいたい』はまやかしで引受けるのは「もうけたい自治体」かもしれません。

4、宮古や石巻はたいして放射能に汚染されていない、といっても我が丸森の牧場の藁から基準値を超えるセシウムが出たように、雨に濡れ、乾いて濃縮されの繰り返しで、空間線量が低い自治体でも、瓦礫の線量が低いかどうかはたしかではありません。ほかにアスベストやヒ素なども含まれている可能性があります。環境省は瓦礫処理して出来た灰をうめてよい水準をキロあたり100bqから8000bqに上げました。
またそれが焼却され、体積が2000分の1になれば、セシウムも、また濃縮されます。焼却灰は埋めるそうですが、空中に灰が巻き上ったり、ダクトから漏れないとは言えません。事実、島田市の実験焼却では30%以上空中にでているそうです。

5、大飯原発に事故があれば京都や滋賀にも影響が出るとして知事は反対しています。日本人の心のふるさと、奈良や京都を失うことになるのです。
北九州で瓦礫を燃やせば福岡や大分、由布院にも影響がないとは言えません。日本政府は全国に放射能を拡散させて、みんなにいたみを拡散し、福島にはちゃんと補償をしない口実にしているようです。「自分のところだけ汚染されたくない」という地域エゴではなく、いざという時、日本人が避難できる汚染されていない土地をできるだけ広く残しておく必要があります。「瓦礫を引受けるのでなく、人を引受ける」「安全な食物を作って供給する」のが正しい態度だと思います。

6、じっさいには瓦礫処理は順調に進んでおり、よその自治体で引受けるまでもないことです。また市民を危険にさらしてまで瓦礫を引受ける「心ある自治体」はありません。80%の自治体は困難と拒否しています。東京でも処理量はかなり下方修正されて来ています。でも友好関係をこわしたくないから、と面子で瓦礫を無理に回し、処理しているだけみたいです。社民党なはずの保坂世田谷区長も焼却を始めようとしており信じられない思いです。

7、焼却灰を埋め立てたところも、30年すれば住宅地や公園にするのが今までの政策で恐ろしいことです。東京はもう放射能汚染地域と言っていいと思いますが、汚泥を前のように埋め立てでなく高温で焼却しています。恐ろしいことです。NHKの数すくないまともな番組『海の汚染地図』では東京湾の汚染が一番進むのは2年後で、たぶん江戸前の穴子寿司など食べられないでしょう。赤城大沼のワカサギも恐ろしい数値なので、つまり霞ヶ関も手賀沼も動かない水はすべて汚染されていると考えられます。『川の汚染地図』では猪苗代湖を水源とする阿賀野川が汚染されつつあり、その水が新潟の河口から出れば、日本海のお寿司だって安全とは言えません。この番組名で検索するとユーストリームなどで見られます。

8、その点で除染は移染に過ぎず、福島を除染すればするほど、放射能は川や海へ拡散します。八ッ場ダム反対を娘とずっとしていますが、彼の地の住民は60年、東京のつごうで翻弄されたので、八ッ場の山を除染すれば、利根川に放射能が入り、東京都民は困るでしょ、と言ったそうです。悲しい事に長年くるしんでいる八ッ場もまた、踏んだり蹴ったりで放射線量が高いのです。

9、宮城や岩手の津波被災地の瓦礫も現地で出来るだけ処理して雇用につなげる。残りはそっとして、宮脇昭先生の言うように、その上に土をかけ、木を植え、鎮魂の森、緑の防波堤にするのが一番ではないでしょうか。これが一番現実的な方策ではないかと最近は考えています。

宮脇 昭「いのちを守る300キロの森づくり」 – YouTube

まちがいがあるかもしれません。東京電力福島第一原子力発電所(面倒ですが、フルネームを書くことにしています。東京電力のせいなのですから)4号機の核燃料のはいったプールが空中にあり、かぼそく支えられているのをご存知でしょう。これがどういう状況か何も明らかにされません。支えがだめになれば東日本はアウト、いや北半球はアウトとすらいわれています。心臓の鼓動が聞こえるような時代になりました。

「どこにも逃げるところはない、勇気を持って立ち向かわなくちゃ」というチェルノブイリの少年にならって、私たちは絶望することに絶望するしかありません。かしこ

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「絶望することに絶望する」というのは1992年、バブル期の東京の現状に付いて毎日新聞の書評欄に書いた言葉です。以上の「瓦礫処理について」皆様の多様なご意見をお待ちして、私の知見も広く深くなることを願っております。