震災日録 3月1日 言葉の問題

言葉に関すること。「フクシマと言う言葉を使うのはやめていただきたい。胸がいたみます」というメールがsnowという人から来た。下さった方、匿名でなければもっとよかったのに。しかしこれは考えるべきことである。わたしは福島と言う土地やそこで暮らす人々のことを指す時は漢字を用い、それと区別して東京電力福島第一原発事故が引き起こした問題を著す際にはフクシマと使ったりした。とくにアレクシェービッチが「我々はみなチェルノブイリ人となった」といったことに感銘を受け、この原発を止められなかったことに責任があるとの自覚に立って、日本人全体の問題である、自分たちだけ逃げられると思うのはまちがい、福島の人々と連帯したい、などの思いで使っていた。しかしフクシマと書かれる度に傷つく人が、胸の傷む人がいるのなら、これからは注意して使うか使わないか考えたい。しかしsnowさん、あなたはヒロシマ、ナガサキ、ミナマタなどという片仮名を見ても胸がいたむのだろうか。

すでにこの問題を取り上げているサイトがありました。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1312571935

私は「世界に対してこの問題を訴えたい」意図で使ったことは一度もない。
「なんで美浜、大飯、伊方などに県名はついていないのに、これだけ県名がついているのだろう」という疑問ももっとも。また事故直後、新聞などが「福島第一原発」と使うたびに「東京電力」と頭につけろ、と感じていた。そして福島在住の方からの痛切なコメントにも胸がいたんだ。農業どころか福島で作るのか、と町工場にまで仕事がない状態だそうだ。2月28日に寄田さんが「フクシマではなく福島です」と書いていたように、原発事故にばかり目がいってしまわないで、福島の大変な生活に目を凝らす必要がある。
「ノーモア・ヒロシマ」が英語としてはおかしいこと、9.11や3.11も使うべきではないなどという意見もある。いいだすときりがない。3.11に誕生日や結婚記念日の人もいるのだから、とか。うちの娘は3.20が誕生日だけど「べつにいいんじゃない」といっていた。私は3.11は震災と津波の日と認識し、原発とは結びつけない。事故が起きたのは3.12だ。