震災日録 2月28日 寄田さんからメール

放射線の影響がどの程度のものか? よくわからない。
陸前高田の材木を燃やすことや、岩手県の瓦礫処理までヒステリックに反対する人たちにはうんざりする。
子どもが小さければ注意するのは当たり前だが、いますぐ福島から逃げろ、逃げないヤツは馬鹿だ、というような文言にも違和感を感ずる。
当面、私自身はウクライナ基準くらいのものなら食べる。一bqも出ちゃいけない、というのは現実的に無理だ。福島でも群馬でも栃木でも必要ならいく。
友人の馬の調教者でホースセラピストの寄田勝彦さんから。許可を得て公開します。長文だがぜひ読んで欲しい。
彼は沖縄や粟島で福島からのこどもたちのキャンプを行い、しかも福島にあたらしく牧場をつくることにしました。福島にこどもたちがいる限り。

「僕は原発に反対です。
世界にある、全ての原発がなくなれば良いと思っています。
低線量被爆もなくすべきと考えています。
特に自分で選択出来ない子どもたちを大人が守るのは当然の事なので、命を基準としたルールを作ることが重要だと考えます。
分からない事は安全サイドに立って考えるべきです。
そして、命のボトムラインはお金ではありません。
お金を基準に命を計量することは許しがたい侮辱です。

これが僕の思考と行動の前提であり、原理です。

さて、ここから原理を超えた現実の話になります。
ある人が定住に繋がる支援はやってはいけないと語ります。
これは、原理主義としては賛成です。
しかし、原理主義の問題点は、切り捨てられるものが多すぎるという事です。
ゆえに、原理主義はファシズム的にならざるを得ません。

考えてみます。

定住に繋がる支援と、定住に繋がらない支援、二つの支援は何が違うのでしょうか?
定住に繋がる支援とは、その場所で暮らす人の暮らしの質を高めるという事でしょう。定住に繋がらない支援とは、今暮らしている場所からの避難して別の場所で暮らす為の支援を指すのでしょう。

この二つの活動を明確に分類し、かつどちらかの活動が悪であるという判断は非常に危険です。
それは、分断を生み出します。それだけではなく、「暮らす人により添う」という内在化された支援が不可能となります。

「私たちは福島です」ここから始める事が重要です。フクシマではありません。

政府や報道が正確な情報を流さないという話とは別の次元です。
正当な市民の権利として正確な情報を獲得する権利があります。なので、政府は正確な情報を提供する事が責務です。その意味で、現在の状況が正確な情報によって生み出されているとは全く思えませんし、政府の発表を信じる気持ちには未だに全くなりません。
しかし、だからといって、暮らしを二分化した価値観で判断するのは間違いです。

逃げたいと考える人には、誠実に対応すべきです。
もちろん必要な支援を受ける権利を失うことがあってはいけません。
残って暮らしたいと考える人にも誠実に対応すべきです。
残る権利もやっぱりあるのです。

凄く環境の悪い地域で暮らしている家族が複数います。
100キロ離れたところに、とても環境の良い暮らしの場所があります。
ある人がやって来て、家族に言いました。
ここから100キロ離れた場所に家を建ててあげるからそこで暮らしなさい。
全ての家族にそのチャンスを与えますと言いました。
でも、やっぱり全ての家族がその提案に参加するわけではありませんでした。
数家族は生まれ育った環境の悪い地域で生きることを選びました。
ある人がいいました、こんな環境の悪い場所に残ると判断する人間は、親として失格だから、何の支援もしません。もし、君が改心したら、新しい場所で新しい暮らしを準備しましょう。
バカはだれか?

スラム街で暮らす子どもたちがいます。
この子どもたちがスラム街から出るという条件を満たすなら、支援をしましょう。
しかし、スラム街で暮らし続けるならば一切の支援をしません。
それは、スラム街での暮らしを認める事になるから。
スラム街を出るしか解決方法はないのですから、支援は条件付です。
これは良いのか?

強制的で暴力的な移動でない限り人は、完全にまとまることはありません。そしてもし、強制力によってまとまったしても、幸福とはほど遠いです。
必ず残ることを選択する人がいます。
そのぐらい歴史や文化は重いものです。時として命よりも重くなってしまいます。
ゆえに、この状況においては、人々に分断が生まれます。
残る人はバカで出て行く人が賢い。
残る人は情報が不足しているのであって、啓蒙が必要である。
残る人が無責任で、出て行く人が責任のある行動を取っている。
この分断と侮辱を増長させるのが、このファシズム的支援です。
これはやってはいけない。
その流れは啓蒙的にならざるを得ず、内発性を排除し、ファシズム的になります。

全ての命は輝く権利を持っています。
その権利は権利を超えて尊厳です。
この尊厳を奪うことは誰にも出来ません。
そしてその尊厳を尊重し認めるという責任を僕たちは負っています。
その尊厳に対して必要な支援を提供することは辞めてはいけません。
何よりも必要な支援なのです。
この尊厳に対する支援は、外部と内部の関係では構築出来ません。
「より添う」という事がどうしても不可欠です。
いかなる命にも寄り添うこと、それは私たちが内部として生きている事に他なりません。
この事がとても重要なのであり、このことがボトムラインなのです」