震災日録 2月27日 越後の粟島

並行して新潟の粟島の聞取り調査をおこしている。いまも独立自尊の合併しない誇り高い島だが、昔のはなしを聞くと、涙が出てくる。「学校をつくるため、島民はせっせとアワビを採ってその収益をあてた」。過疎地対策費で立派な校舎をたてたりはしないのだ。
「自家発電を最初にしたのは昭和27年、それも夜だけ。テレビが見られるようになったのは昭和44年だった」「診療所をつくってもなかなか医者がいつかなかった。いまは高速船があるからいいけど、むかしは屈強な若者が20人くらい、病人を乗せて早船で岩船までおくった」。みんないっしょうけんめい生きてきた。
アイルランドの絶海の孤島、スケリッグ・マイケルもかくやと思うばかり。あそこにはマンクスミズナギドリもいるし。いや違うな、アラン島だな。海藻を肥料にするあたり。でもあんなに平らじゃないか。