震災日録 2月11日 沖縄つかれ

年のせいか、那覇まで往復したのでかなり疲れた。帰りに車に乗せてくださった方の話を思い出している。
「はじめて東京の大学に入るのでいったとき、パスポートに帰国証明と判を押されて反抗心が芽生えた。祖父も父も弁護士でした。でもおばあさんが偉かった。夫が勉強中、学校の先生をして留守を守りきった。しかし孫である私の前で祖父はその漁師の兄を『この無学もん』とどなった。勉強させてくれた兄さんなのに。偉くなったが祖父は軽蔑してましたね」
「沖縄って複雑なところですよ、個人の歴史にその複雑さがこだまする」とその人は言った。辺野古海上案に反対して泊まりにあった防衛庁沖縄局の前でハンストをする友につきあい夜明かししたと言う。
耳鳴りがする。お昼は友人の家でご馳走になる。「手帳で収入につながらない用事に緑を塗ってみたら、手帳が緑だらけになったって、誰かが書いてた。私も人に頼まれて紹介したり、調べてあげたり、情報を教えたりばかりだわ」という。私の手帳も真緑だろう。この年になるとしがらみも多すぎて。確定申告の段になって、収入ががくんと減っているのに気付く。「だって3・11以降、あちこちかけずりまわって仕事してなかったじゃない」と娘。でも10くらいの映像作品をアップしたし、去年はそういう年だったんだ。